高木ブーと天川由記子准教授「美女と野獣婚」?

ザ・ドリフターズ」のメンバーで、ウクレレ奏者としても活躍する高木ブー(76)が再婚することが1日、分かった。年内にも入籍する予定。お相手は、森喜朗安倍晋三両元首相らの“名参謀”として知られる帝京大学天川由記子准教授(50)。26歳の年の差カップルを結びつけたのは、2人がともに愛する米ハワイとウクレレだった。
高木さんと天川氏はそれまでもイベントなどで顔を合わせていたが、一昨年9月、ハワイ・ホノルルのウクレレ店で偶然再会した。その日の夜、友人とともに食事に出掛け、日本に戻っても連絡を取り合うようになった。

 同年11月、高木が作曲した「ブルー・メモリー」をハワイで演奏するため、天川氏に英語の詩をつけるように依頼してから急接近。今年3月初め、高木がウクレレ・フェスティバル出演のためハワイ入りした際、同行していた天川氏と結婚を含めた2人の将来について話し合った。近く同居するといい、年内にも入籍する予定という。

 高木は「運命的なものを感じた。僕は将来、ハワイに住み、死ぬまでハワイアンを歌っていたい。彼女にはずっと側にいてほしい」と話した。天川氏も「高木さんは、いわゆる芸能人らしくなく、とても真面目な方。本当に信頼できます」と話している。

 高木は「ザ・ドリフターズ」のメンバーで、芸名通りの体型と優しい人柄で人気者に。最近はウクレレ奏者としても活躍している。13年前に喜代子夫人が亡くなった後は独身を通してきた。

 初婚となる天川氏は、上智大学卒業後、ミズーリ大学コロンビア校大学院修了。キャスターを経て、現在、帝京大学准教授。国際関係論や安全保障が専門で、米政府内に知己が多く、森、安倍両氏以外にも、福田康夫前首相や細田博之幹事長らの通訳やブレーンを務めてきた。サンスポより



!?高木ブー再婚、お相手はナント…
ハワイで再会「運命的なものを感じた」


お揃いのアロハを着て、穏やかな表情を浮かべる高木(右)と天川氏=今年3月、ハワイで(クリックで拡大) 「ザ・ドリフターズ」のメンバーで、ウクレレ奏者としても活躍する高木ブー(76)が再婚することが1日、分かった。年内にも入籍する予定。お相手は、森喜朗安倍晋三両元首相らの“名参謀”として知られる帝京大学天川由記子准教授(50)。26歳の年の差カップルを結びつけたのは、2人がともに愛する米ハワイとウクレレだった。

 高木と天川氏はそれまでもイベントなどで顔を合わせていたが、一昨年9月、ハワイ・ホノルルのウクレレ店で偶然再会した。その日の夜、友人とともに食事に出掛け、日本に戻っても連絡を取り合うようになった。

 同年11月、高木が作曲した「ブルー・メモリー」をハワイで演奏するため、天川氏に英語の詞をつけるように依頼してから急接近。先月初め、高木がウクレレ・フェスティバル出演のためハワイ入りした際、同行していた天川氏と結婚を含めた2人の将来について話し合った。近く同居するといい、年内にも入籍する予定という。


芸能界、主な年の差婚(クリックで拡大) 高木は夕刊フジの取材に「運命的なものを感じた。僕は将来、ハワイに住み、死ぬまでハワイアンを歌っていたい。彼女にはずっと側にいてほしい」と語った。

 また、天川氏も「高木さんは、いわゆる芸能人らしくなく、とても真面目な方。本当に信頼できます」と話している。

 高木は伝説的コントグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーで、芸名通りの体型と優しい人柄で人気者に。最近、ウクレレ奏者としても活躍している。13年前に喜代子夫人が亡くなった後は独身を通してきた。

 一方、天川氏は上智大学卒業後、ミズーリ大学コロンビア校大学院修了。キャスターを経て、現在、帝京大学准教授。国際関係論や安全保障が専門で、米政府内に知己が多く、森、安倍両氏以外にも、福田康夫前首相や細田博之幹事長らの通訳やブレーンを務める。天川氏は初婚。ZAKZAKより



高木ブー再婚報道を事務所が否定
高木ブー再婚報道を事務所が否定 ザ・ドリフターズのメンバーでウクレレ奏者の高木ブー帝京大学天川由記子准教授が年内にも入籍予定と一部で報じられた件について、高木の所属事務所は1日(水)、ORICON STYLEの取材に「そんな予定はございません。ウクレレ教室の生徒さんとして食事などはしているようですが、交際の事実はないと本人から聞いています」と回答した。今後、特に会見やコメントの予定もないという。(オリコン)

こりゃ!April Fool's Dayだったのか?



天川由記子准教授
天川 由記子(あまかわ ゆきこ) 1958年12月3日東京生まれ。帰国子女。 上智大学国語学部卒業。University of Missouri-Columbia大学院政治学部卒業(MA) NHK専属キャスター、テレビ東京アナウンサーとして10年間勤務ののち、現在は、帝京大学短期大学 助教授。 専門は、国際関係論、安全保障、アメリカ研究。著書、論文多数。趣味は、油絵、家具製作。
帝京大学は、学生のバックアップ体制が、大変しっかりしています。帝京は、個々の学生を大切にし、学生ひとりひとりの「自分流」を見つけることができるよう、大学全体で協力しています。あなたも、帝京で、「自分」を見つけてみませんか?今年は、アナウンサー希望の学生が何人かいるので、個人指導をして、マスコミ人になれるよう、応援しています。あなたにも、帝京でお会いできるといいですね。

天川由記子准教授公式ブログ
http://amakawayukiko.seesaa.net/
経歴

上智大学国語学比較文化学科卒業。アメリカUniversity of Missouri-Columbiaへ、上智大学3年次に留学。University of Missouri-Columbia大学院政治学部卒業(MA)。Washington, DCのGeorgetown University大学院政治学部に留学。帰国子女。英語と日本語のバイリンガルアメリカ滞在は、計13年間。そのほかに、住んだことのある国は、イギリス、フランス、オーストラリア。上智大学在学中から同時通訳として、政治折衝などの通訳として活躍。帰国後、NHKの専属キャスターとして、初代衛星放送ワールド・ニュース・キャスター、教育テレビ「英語会話上級」講師など、たくさんの番組のキャスターとして出演した。NHKで10年間ほど仕事をしたのち、テレビ東京のアナウンサー(正社員)として移籍。主に報道アナウンサーとして出演。社会人としての第一歩は、マスコミ人として踏み出す。のちに、帝京大学に移籍し、現在に至る。専門は、国際政治学、外交、アメリカ研究、安全保障。現在は、帝京大学をベースに、マスコミにも頻繁に出演や論文出版などをしている。趣味は、油絵と家具製作。


所属学会

アメリカ研究学会 会長

国際関係学会

American Political Science Association


専門分野
国際政治学、外交、アメリカ研究、安全保障。
研究テーマ
特に日米関係における外交、安全保障の分野に重点を置いている。また、現役のマスコミ人でもあるので、マスコミと政治の関係もwatchしている。
所属キャンパス
八王子キャンパス
 帝京大学HPより
★高木 ブー(たかぎ ブー、1933年3月8日 - )は、日本のミュージシャン、タレントであり、「ザ・ドリフターズ」、「こぶ茶バンド」のメンバーである。本名、高木 友之助(たかぎ とものすけ)。アルファベット表記はBoo Takagi[1]。ドリフ映画での呼び名は「デブ」。20代の頃から70代の現在まで芸名通りの肥満体型をしている。

来歴
東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に生まれ、戦災に遭って母方の郷里の千葉県柏市で育つ。3人の兄と2人の姉を持つ末っ子だったため、6番目の子という意味で、近所では「ロクさん」または「友ちゃん」という愛称で親しまれていた[2]。

京北学園中学校3年のとき、兄から贈られたことがきっかけでウクレレに熱中。中央大学経済学部在学中は音楽研究会に所属。この研究会の先輩に谷啓がいる。

最近になってウクレレ奏者としての面がクローズアップされてきたが、中央大学に在籍していた頃からハワイアン・ミュージックに造詣を持ち、ユニットを結成し都内の学生の間で名前が知れ渡っていた程の腕前だった。

大学卒業後、東京ガスの採用内定を蹴ってプロのミュージシャンとなる。当時の芸名は高木智之で、「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」「ニュー・フレッシュメン」「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」「ロジェ滋野とシャドーズ」のバンドマンとして米軍キャンプ等で演奏。シャドーズではエレキギターを担当していたが、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」で演奏していたとき、桜井輝夫いかりや長介にスカウトされ、1963年9月16日[3]、ピアニストの欠員補充としてザ・ドリフターズに参加。いかりや長介の著書によると、外見がコミックバンド向きなので新生ドリフにスカウトしたと述べている。

ドリフ参加後もしばらくは「高木智之」を名乗っていたが、のち現在の芸名に変更。「高木ブー」という名前は、「クレージー・キャッツ」のリーダー・ハナ肇が、「お前は太っているからブーでいいや」という一言で、本名の「高木」に「ブー」を組み合わせて付けられた[4]。

しかしいかりや説によれば、「ブーたん」と言うあだ名から、ハナ肇より「たんを取れ」と言われブーになったとのこと。加藤茶は「高木は見た目でブーなんだけど、ハナさんが『ブタ小屋はきれいに洗わないと』なんて」と、経緯を語っている[5]。

1984年9月14日、『8時だョ!全員集合』のリハーサル中に両足のアキレス腱を断裂し、約4ヵ月の間活動を離脱している。この間『全員集合』のオープニングクレジットでは括弧書きになっていた。

1985年9月28日、『全員集合』が終了。その後、ドリフのメンバーとして初めて単独での活動を開始。別役実の芝居に複数出演し、将来は新劇の役者になるのかと思っていたこともある[6]。

フジテレビのバラエティ番組『ドリフ大爆笑』シリーズのカミナリ3兄弟シリーズでの「雷様(角付きアフロヘアーを被った緑色の全身タイツ姿)」が特に有名で、NHK教育テレビの番組でウクレレを教えたときも雷様の格好だった。

1991年『水戸黄門第20部』にゲスト出演している。前年の1990年には仲本工事が左甚五郎役でゲスト出演している。

2001年、東京麻布十番にハワイアンバー「ブーズバー・ハロナ」を開店。また、カメハメハ大王の直系の子孫でハワイ大学教授の人間国宝ルビライト・カウエナ・ジョンソンからハワイ文化の普及に対する貢献を評価され、ハワイアンネーム「ホアコクア」を授かった。ハワイ語で「友達を助け支えになる。精霊を分け与える」の意味である[7]。

ハロナ・セレナーダス時代の仲間の青木健たちと共に「高木ブーとニュー・ハロナ」を結成するなど、ウクレレ奏者としての活動も盛んで、CDアルバム『LET IT BOO』をはじめ、2002年にはモーニング娘。とのコラボレーションでハワイアン風のCD、2004年10月に『美女とYABOO!』をリリース発表している。(詳細は、高木ブー#CD参照。)

2002年、明治乳業VAAMのCMに出演し、マラソン選手の高橋尚子と共演した。

2003年6月から7月放送のNHK総合テレビ『連続ドラマ 女神の恋』で農場経営者の役を演じた。

※デビューから暫くの間公式発表していた年齢は6歳ほどサバを読んでおり、最近の文献やテレビ番組でも年齢に矛盾が見られる場合がある。


エピソード
愛校心が強いことでも知られるが、卒業した中央大学には本名と同姓同名の「高木友之助」という総長(学長)がおり、この高木総長より「高木友之助様 高木友之助より」という手紙を受け取ったことから、両者の間に親交が生まれたことがある[8](高木友之助総長は、双葉山在籍時の立浪部屋親方・四代目立浪弥右衛門の長男)。

『全員集合』の冒頭コントで、激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか消えてしまうことが多く、それ以外でも体型を生かして笑いを取る場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。その結果、何もしない、何もできない無能の代名詞として扱われる事も多く、筋肉少女帯から自らの無能ぶりを高木に喩えたシングル『元祖高木ブー伝説』がリリースされて話題となった。この時事務所側はクレームをつけたものの、高木本人が「若い奴がバカやってるんだから許してあげようよ」と鷹揚な対応を見せた事でリリースが可能となり、更には筋肉少女帯のライブを訪れてセッションを行うなど自ら交流を行った。

当時、筋肉少女帯のリーダーであった大槻ケンヂは、後に徹子の部屋へと出演した際、「この曲はとても誤解されている。表面的な部分を面白がるだけで終わらない人は、自分が考えていたよりもずっと少なかった」と話し、同時に実際に接した際の高木の人柄を、「芸能界に居るのが勿体無いような素晴らしい人」と絶賛した。上記の通り無能なイメージがあったが、ドリフのリーダーのいかりやは自分の方から高木をクビにしようと思った事は一度も無かったと著書の中で語っている。

特技は居眠りであり、どんな状況でも眠れる体質となっている。ドリフターズが駆けだしの時期にフジテレビの番組『歌え! 一億』のスポンサーとの会議中に大いびきをかきながら居眠りをしてしまい、番組が打ち切りになったことがある。後にピックウィック症候群(肥満による重度の睡眠時無呼吸症候群)が原因である事がわかった。

加藤の証言によれば、自分が最年長だからいかりや没後の現ドリフリーダーであると勝手に宣言していると言う。しかし、世間は年齢こそ(いかりやから数えて)4番目であるものの、現・ドリフ最古参の加藤が新リーダーと見ている。

いかりやによれば大学生の頃(本人の著書によると高校生の頃)ボクシングをやっていた。日本テレビ系『ダウンタウンDX』で「殴られて鼻血でも出したら、カッコ悪いじゃない。だからやめた」と証言。(「万一指をケガしたらウクレレがひけなくなるから」とコメントしたこともある。)また同番組では「いかりやから貰った弁当の海老フライをいかりやに取られ逆上した」「『俺の給料を上げろ!』といかりやの元に単身抗議しに行った」と、のんびりとしたイメージとは裏腹のエピソードを語っている。

趣味はクレー射撃。メンバー全員がクレー射撃の資格を持っているが(加藤茶は交通事故を起こした際に銃を所持していたため、銃の所持免許を剥奪されたという説がある)、高木のみ趣味として継続している。これは、フジテレビ『トリビアの泉』でも紹介されている。高木いわく「最初に始めたのは長さん(いかりや)で、周りのメンバーも巻き込んでやらせたくせに、メンバーが上達して自分より上手くなると先にやめてしまった」とのことである。

高木ブーは射撃好きの芸能文化人で結成している『芸能文化人ガンクラブ』の第二代目理事長を、三橋達也から引き継いで務めている。現在では高齢で表舞台に出ることが殆んどなくなった会長の森繁久彌に代わって会長職も代行しており、会の発展に全力投球している。

また、イラストもうまい一面があり、加藤の店がオープンしたとき、雷様等のイラストを展示していた。彼の画風は水墨画系のイラストで、筆と墨で丁寧に表情を表現していた。

焼肉が大好物で、生であっても網の上に並べたそばからすぐ食べる。じっくり焼いて食べるのが好きだったいかりやはその事に激怒したことも。又、レバ刺しが特に好きだが、近年医者から止められている。なお、嫌いな食べ物はうどん。

東京都港区麻布十番で、バー"Boo's Bar HALONA"を営んでいた(2006年7月をもって閉店)。同店内で定期的にミニコンサートを行ったほか、ウクレレ教室も開きニューハロナのギタリスト・青木健と共にウクレレを指導した。また、NHK教育テレビジョンの『趣味悠々』でもウクレレのレッスン番組を行ったこともある。

なお、愛用のウクレレはダブルネック(4弦+8弦)である。

新宿区西早稲田には、散歩する高木にあやかった通称「ブー横丁(通り)」が存在する。早稲田通りの一本裏の道で、昔から高田馬場駅から早稲田大学西早稲田キャンパスへの通学路として使われてきた。

他のドリフメンバーと共にホノルルマラソンに出場したことがある。列の後ろの方からスタートしたが、何とスタート地点に達するまでに、わずか2kmでリタイヤしてしまった。

中日ドラゴンズの大ファンで、落合博満が中日に現役在籍時に、特番で落合家に仲本工事と訪問した時、実に嬉しそうな顔をしていた。なぜ中日ドラゴンズの熱烈なファンかは、高木は名古屋とも縁はなく、長らくの謎であったが、自身の著書・第5の男で、高木が所属していたボクシングジムが中日系列のジムだったためと思われる。

ドリフでは結婚歴のない志村けんを除けば、唯一離婚していない。38年間連れ添った喜代子夫人の死去後は独身を貫いていたが、この程、国際政治学者の天川由記子と再婚することが明らかになった[9]。

過去に「クイズ・ドレミファドン!」「踊る!さんま御殿!!」に娘と一緒に出演したことがある。

雷コントでいかりや長介のことをいきなり「おい、いかりや!」と呼んで周囲を驚かしたこともある。


高木ブーの得意のネタ
雷様
ピップエレキバン
「あった・・! 一円玉があった・・!」
「無い・・! 俺の一円玉がない〜!」
「高木家家訓!一円を笑う者は一円に泣く!」
「寝台車だから、死んだ医者」
故人タクシー
居眠り
泣き虫
3人ジィさん
※居眠り、ピップエレキバン以外はすべてドリフ大爆笑のもの

特徴として、高木ブーのコントギャグは一発ネタ傾向が多い。これには、いかりや長介が「1ページのいかりや、半ページの志村、3行の仲本、1行の加藤、感嘆詞のブー」と言ってたほど、セリフ覚えが悪い事から。唯一饒舌気味の雷様・3人ジィさんも、ほとんどがアドリブのノリで、実質高木のギャグは一発ネタ気味である。


出演

CM
明治乳業 VAAM - マラソン選手の高橋尚子と共演。
KDDI(旧DDI) 0078 - KONISHIKIとの共演。
アリコジャパン - 志村けんとの共演。
ケーズデンキ
春日井製菓 黒あめ - 2代目黒あめマンに扮して出演。高木が演奏するウクレレのサビの部分が流れている。
ジョンソン カビキラー - 娘と共演。湯船に浸かって「い〜い湯〜だ〜な」と口ずさむ場面がある。

テレビ番組
時間ですよ ふたたび(1987年、TBS)
木曜ゴールデンドラマ(YTV)
「お墓やぁ〜い! 」(1989年)
「姑・嫁VS.嫁・姑」(1990年)
氷点(1989年、ANB)
代表取締役刑事 第27話「愛情物語」(1991年、ANB)
まかせてダーリン 第7話「ゴミ調べの妻」(1998年、TBS)
踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル(1998年、CX)
月曜ミステリー劇場「人情質屋の事件台帳シリーズ」(2001年、2002年、TBS)
女神の恋(2003年、NHK
ガチバカ! 第4話「屋上の中心で愛を叫ぶ! 」(2006年、TBS)
森田一義アワー 笑っていいとも!(テレフォンショッキング・ゲスト、CX)
ライオンのごきげんよう(CX)
ハワイアンLIVE in BIRDLAND(MX、ゲストとして度々)
加トちゃんケンちゃん光子ちゃん(友情出演)(CX)

映画
ドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年)
ドリフターズですよ! 全員突撃(1969年)
釣りバカ日誌10(1998年)

CD
シングル

GOOD!(1997年8月1日、SRCL-3981)
僕の大好きな場所(1999年7月1日、SRCL-4538)
モーニング娘。シングルメドレー〜ハワイアン〜(2002年6月26日、EPCE-5167)
高木ブーモーニング娘。ココナッツ娘。藤本美貴石井リカ名義
アルバム

Hawaiian Christmas(1996年11月21日、SRCL-3727)
Vintage〜BOO's Hawaiian Songs〜(1998年7月1日、SRCL-4322)
LET IT BOO(2000年1月21日、AICT-1166)
ハワイアンで聴くモーニング娘。シングルコレクション(2002年7月10日、EPCE-5167)
高木ブーモーニング娘。ココナッツ娘。藤本美貴石井リカ名義
美女とYABOO!〜ハワイアンサウンドによる昭和歌謡〜(2004年9月16日、UICZ-4102)
中澤裕子、酒匂ミユキ、サンディー、瀬戸早妃森公美子小池栄子雛形あきこ根本はるみ、山田まりや、小林恵美五十嵐結花MEGUMI佐藤江梨子かわいかおりが参加。

著書
高木ブーの楽しくウクレレ(岩波アクティブ新書)(2002年 岩波書店) ISBN 4007000360
第5の男〜どこにでもいる僕〜(2003年 朝日新聞社) ISBN 4022578408

その他
高木ブーの楽しいウクレレ 通信講座(がくぶん総合教育センター)

関連人物
ザ・ドリフターズ
いかりや長介
加藤茶
仲本工事
志村けん
荒井注(元メンバー)
すわ親治(元準メンバー)

関連項目
森繁久彌(芸能文化人ガンクラブ会長)
三橋達也(芸能文化人ガンクラブ前理事長)
雷様

脚注
^ 『第5の男』の表紙と奥付にBoo Takagiと記されている。
^ 松戸よみうり〜私の昭和史 忘れ得ぬ人びと 人生一期一会(26)高木ブーさんの恋多き青春時代 根本圭助
^ 『第5の男』p.95
^ 『第5の男』p.106-107
^ 朝日新聞夕刊「人生の贈りもの」2008年12月3日掲載より
^ 『第5の男』p.134-137
^ 『第5の男』p.170-171
^ 『第5の男』p.171
^ 高木ブーさん、再婚 産経新聞 2009年4月1日閲覧