森光子の主演舞台「放浪記」が単独主演2000回

女優、森光子の主演舞台「放浪記」が、森の89歳の誕生日の9日、東京・帝国劇場で、単独主演2000回の金字塔を打ち建てた。1961年10月20日の初演以来、48年かけて積み上げた大記録。同作への抜擢によって、脇役から日本を代表する大女優になった森は、「これからも一生懸命、もっと豊かな表現ができる女優になりたいと思います」と精進を誓った。
いまだかつて誰も成しえていない“演劇人の夢”を、身長1メートル53の小柄な、89歳の女優がかなえた。

 約2000人の観客と各界のゲストがスタンディングオベーションを送り、ステージ上に並んだ山本學(72)、米倉斉加年(74)ら苦楽を共にした42人の共演者が万感の表情で見つめる。

 劇場のすみからすみまでを見回し、体がふたつに折れんばかりに深々と礼をした森。「この回数は、何百回、何千回とおみ足を運んで下さったお客様のおかげで成立しています。ありがとうございます、心からお礼申し上げます」。瞳が潤み、口をついて出るのは、感謝の言葉ばかりだ。

 「放浪記」の主人公、林芙美子役は、森が41歳で初めて掴んだ主役の座。大阪の劇場で脇役を演じていた森の才能を見込み、同作の作者で演出家の故菊田一夫氏が抜擢した。

 「あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ」。長い下積み時代、成功した先輩俳優に対して詠んだ自作の川柳を披露すると客席から拍手が起こり、「とても生意気でしたけれど、その気持ちを忘れずにずっと持ってきました」と吐露した。

 やっと手に入れた主役は誰にも渡さない。肺炎で入院を余儀なくされた時は、病院から劇場に通った。一度も代役を立てずこの日を迎え、「放浪記と出会えて、すっごい幸せです」と声を弾ませ、「放浪記は、私の全部を捧げています」と力を込めた。

 2000回と誕生日という熱狂の一夜の後、10日は休演日。「あしたは寝坊します」とお茶目に笑った森。11日の2001回、12日の2002回…命ある限り、変わらぬ思いで舞台に立つ。サンスポより



一言 演技もさることながら健康維持に努めたことが大きな勲章をもたらしたのであろう。まさに森光子は小さな大巨人と成長した。

★森 光子(もり みつこ、本名:村上 美津(むらかみ みつ)、1920年5月9日 - )は、日本の女優である。京都府京都市出身。血液型はB型。

京都府立第一高等女学校(現京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。紫綬褒章文化勲章受章。東京都名誉都民。

俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく嵐寛寿郎の姪であり1923年生まれだとしていた。

経歴
実家は京都・三条木屋町で割烹旅館『国の家』を経営していたが、後に倒産した。戦前より従兄の嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属したが、寛プロが閉鎖すると新興キネマ(後の大映)所属の娘役として多くの映画に出演した。多くは「たぬき物」であり、溝口健二の『祇園の姉妹』のような映画を、と夢見ていた森は失望が多かった。

戦前から戦後間もなくにかけては大阪を拠点に、ミスワカナ・玉松一郎の慰問団に参加するなど芸能活動を行っていたが、1950年前後の約3年間は、肺結核の闘病生活のため芸能活動を休止。この頃、「森光子は死んだ」という噂がまことしやかに流れ、復帰作となった『エンタツちょびひげ漫遊記』で共演した赤木春恵らもそう信じていたらしい。

1956年には朝日放送と専属契約を結び、ラジオでは『東西お笑い他流試合』の大阪方の司会、テレビでは中田ダイマル・ラケットと組んだコメディ『びっくり捕物帳』などで人気を博した。1958年に菊田一夫に誘われ芸術座の舞台を踏んだのがきっかけで、翌1959年には東京に活動拠点を移す。同年ラジオ東京のプロデューサーで演出家の岡本愛彦と結婚(のちに離婚)。結婚当時、相手が5歳下だったこともあり、森本人は3歳サバを読んで36歳ということにしていた。作家の水上勉とも噂があった。

1961年、恩師である菊田の脚本による芸術座公演『放浪記』にて主役の林芙美子役を好演。以後、現在まで公演回数2000回以上を数える森の代表作となると共に、それまで脇役であった森が主演女優への階段を上るきっかけとなった。

東芝日曜劇場・天国の父ちゃんこんにちは』(TBS、1966〜1974)、『時間ですよ』(TBS、1970〜1973、以後シリーズ化)、『グランド劇場・2丁目3番地』(日本テレビ、1971)、『銀座わが町』(NHK、1973)、『かくれんぼ』(日本テレビ、1981)等数多くのテレビドラマにも出演。山岡久乃京塚昌子等とともに日本を代表する「お母さん」女優としてその人気を不動のものとする。1974年 - 1988年までの14年間にわたり、フジテレビの看板ワイドショー番組『3時のあなた』のメイン司会も担当し、これもまた森の代表的な仕事の一つに数えられている。更には大阪でのコメディ経験を生かしザ・ドリフターズとのコント番組にも長年出演する等、芸域の広さを視聴者に知らしめた。

『花吹雪はしご一家』(TBS、1975〜1976)で母子役として共演した西城秀樹から「東京のお母さん」と呼ばれて親しまれ、西城のコンサートにはよくゲスト出演していた。またジャニーズの大ファンで、特に東山紀之ととても仲が良く、森の右手を握れる男性は東山だけである。「絶叫コースターに挑戦したい」と言い、テレビ番組の企画で実際にコースターに乗ったこともある。当時80歳、同乗相手は長瀬智也

大橋巨泉司会の人気番組だった『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ!!』にも、度々ゲスト解答者として出場していた。ある日『クイズダービー』に、森が出場者側(ギャンブラー席)として出演した時のエピソードである。CM明けの6問目、初代2枠レギュラー解答者だった五月みどりの曲「恋する蝶ちょ」の歌詞問題で、正解が「男にとまれ」(解答者5人は全員不正解)と司会の巨泉が発表した。森は「私は…もしかしたらあの、『ホテルにとまれ』かと思った」とドッキリ発言をしている。この森の発言には解答者全員のみならず、出場者として出演していたタレントらも大爆笑、巨泉からも「それは過激すぎますよ!」と笑われた。

1984年、紫綬褒章を授与される。この時、3歳の年齢サバ読みがはからずも発覚するが、当時のマスコミの論調は好意的だった。

2005年、文化勲章を授与される。女優からの勲章受章者は山田五十鈴以来2人目(杉村春子は辞退)。森はこれ以前の数年は、もしやの親授式に備えて文化の日には予定を入れなかったという。

2008年、『放浪記』の舞台でそれまで行なっていたでんぐり返しをとりやめ、万歳三唱にした。でんぐり返しの封印と言われている。

2009年1月、初の著書『女優森光子 大正・昭和・平成−八十八年激動の軌跡』を出版。5月9日の誕生日には『放浪記』上演2000回を迎えた。

毎日欠かさず150回(朝75回、夜75回)のスクワット(実際には、スクワットというよりも軽めの屈伸運動に近いものである。そうでなければ持続は困難と思われる)等、80歳を越えていることを感じさせぬ容貌とバイタリティから“妖怪”とも一部で揶揄される。

幼少から若手女優だった頃は、「黒みっちゃん」と呼ばれるほど肌が黒っぽかったが、年齢を重ねるにつれ、白くなったという。これはマイケル・ジャクソンと同じ尋常性白斑という皮膚病のせいである。


主な出演作品

舞台
放浪記 (戯曲)
出演回数は2008年12月の中日劇場で1995回、主役を演じた年数45年は日本記録
2009年5月9日の自身の誕生日、東京・帝劇で前人未到の上演2000回を達成。
おもろい女
芦屋雁之助とのコンビで、戦前活躍した漫才コンビであるミスワカナ・玉松一郎のワカナ役を好演。1979年には芸術祭大賞を受賞し、『放浪記』と並ぶ森の舞台での代表作となる。雁之助死去後は段田安則が新パートナーに。なお、上記のとおり、ワカナは森の師匠筋にあたり、本作でも「森光子」役の女優が登場し、ワカナ役の森と絡むなどのくすぐりがある。

放浪記 (新潮文庫)

放浪記 (新潮文庫)

映画
氷点(1966年、山本薩夫監督)
もののけ姫(1997年、宮崎駿監督)※声の出演(ひい様役)
川の流れのように(2001年、秋元康監督)
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、堀川とんこう監督)

テレビドラマ
時間ですよシリーズ(TBS)
時間ですよ(1970年〜1973年)
時間ですよ昭和元年(1974年10月〜1975年4月)
時間ですよふたたび(1987年6月〜8月)
時間ですよたびたび(1988年7月〜10月)
時間ですよ平成元年(1989年10月〜12月)
日曜劇場(TBS)
天国の父ちゃんこんにちは(1966年〜1978年)
女たちの忠臣蔵(1979年12月9日)ナレーション
二人だけの結婚式
竜馬がゆく(1968年、NHK
大奥(1969年、KTV
おさな妻(1970年、12CH)
男は度胸(1970年、NHK
2丁目3番地(1971年、NTV)
徳川おんな絵巻(1971年、KTV
銀座わが町(1973年4月〜1974年3月、NHK
花吹雪はしご一家(1975年〜1976年、TBS)
せい子宙太郎(1978年、TBS)
敵か?味方か?3対3(1978年、TBS)
熱愛一家・LOVE(1979年2月14日〜1979年8月8日 TBS) 石本千代 役
なぜか初恋・南風(1980年2月13日〜1980年7月16日 TBS)
春よ、来い(1982年、NTV)
田中丸家御一同様(1982年、NTV)
木曜ゴールデンドラマ かくれんぼ(1985年、NTV)
おんなは一生懸命(1987年〜1988年、TBS)
火曜サスペンス劇場(NTV)
スキャンダル(1988年1月5日)
渡る世間は鬼ばかり(1990年〜、TBS) 森山珠子役
なんだらまんだら(1991年、フジテレビ)
源氏物語 上の巻 下の巻(1991年、TBS)
D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…(1992年、フジテレビ)
華岡青洲の妻(1992年、フジテレビ)
お玉・幸造夫婦です(1994年、YTV)
必要のない人(1998年、NHK
水戸黄門1000回記念スペシャル(2003年、TBS)
【放送80周年記念ドラマ】橋田壽賀子ドラマ ハルとナツ 届かなかった手紙(2005年、NHK
拝啓、父上様(2007年、フジテレビ)
寧々〜おんな太閤記(2009年1月2日、テレビ東京) 語り
など多数。


その他テレビ番組
NHK紅白歌合戦(1962年・1978年・1984年 日本放送協会)紅組司会
輝く!日本レコード大賞(1972年 - 1976年、東京放送)司会として
3時のあなた(1974年 - 1988年、フジテレビジョン系)司会として
ドリフと女優の爆笑劇場(テレビ朝日
加トちゃんケンちゃん光子ちゃんフジテレビジョン系)
クイズダービー東京放送系)ゲスト解答者&出場者として出演
世界まるごとHOWマッチ!!(東京放送系)ゲスト解答者
森田一義アワー 笑っていいとも!フジテレビジョン系)テレフォンショッキングほか
徹子の部屋テレビ朝日系) ゲスト出演
愛のエプロンテレビ朝日系) ゲスト出演
きよしとこの夜NHK) ゲスト出演
行列のできる法律相談所 (2007年 日本テレビ放送網系)ゲスト出演
ジェシカおばさんの事件簿 声の出演
一枚の写真(フジテレビ)

ラジオ
ラジオドラマ「エンタツの迷探偵」(1952年 NHKラジオ大阪) 
第14回ラジオチャリティミュージックソン(1988年12月 ニッポン放送) パーソナリティー(生放送)
オールナイトニッポン(2009年1月2日 ニッポン放送) パーソナリティー(2008年12月28日収録、ゲストは笑福亭鶴瓶
オールナイトニッポンパーソナリティー最年長(88歳)記録
ほか多数。


CM
タケヤ味噌
リクルートとらばーゆ
アース製薬
秀月人形チェーン
全日空
午後の紅茶 ※スクワットを披露
いきいき ※スクワットを披露

著書
『女優 森光子 大正・昭和・平成−八十八年 激動の軌跡−』(集英社、2009年1月26日)ISBN 4087813886
森本人の語り下ろしによりその半生を振り返る自伝。ビートたけし王貞治ら親交の深い著名人31人からのメッセージ、対談。『放浪記』舞台とその裏側の写真(篠山紀信撮影)、事務所秘蔵の戦前・戦中の森の写真により構成。
先代:
中村メイコ 第13回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1962 次代:
江利チエミ
先代:
佐良直美 第29回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1978 次代:
水前寺清子
先代:
黒柳徹子 第35回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1984 次代:
森昌子