藤原紀香が騒動後初となるコメント心も体も

◆ずっと添い遂げたかった お墓に入るまで。心も体も数々のことに壊れてしまった自分がいました
お笑いタレントの陣内智則との離婚に揺れる女優の藤原紀香が、24日(火)付の公式ホームページに、騒動後初となるコメントを発表した。藤原は「ずっと添い遂げたかった お墓に入るまで。と神様の前で誓ったんだもん でもだめだった(>_<) 最後は心も体も数々のことに壊れてしまった自分がいました」と悲痛な心境を綴っている。


 藤原は冒頭で「皆様、お騒がせして本当にごめんなさい。私たちのことで連日いろんな報道があったこと、そして、両親も私を思うあまりに気持ちが先走ってしまい、押しかけた報道陣のみなさんに驚き話してしまったことなどを聞きました。各方面にご迷惑をおかけしてしまったことを本当に心からお詫びいたします」とファンに対し陳謝。

 また、今回の離婚に対し「夫婦ですからいろいろあります。私たち夫婦にしかわからないこともたくさんあります。がんばれるところまでやってみました。やはり夫婦だから」と複雑な心境を明かす。24日同日に、単独で緊急会見を行った“元夫”の陣内が「自分の未熟さ、心の弱さで独身時代のように浮気をして紀香さんを傷つけてしまいました」と全面的に自身の非を認めた形となったが、藤原自身も陣内の女性問題が原因で「最後は心も体も数々のことに壊れてしまった自分がいました」と離婚に至った経緯を告白した。

 最後に藤原は「彼と出会って結婚したことは後悔していませんし本当に感謝しています。(中略)これから違う人生を歩んでいく二人ですが、どうか、そっと、見守ってください。彼の幸せを心から願っています。私もスパッと前に向いて歩いていきます!」と前向きな姿勢で歩んでいくことを宣言していた。オリコンより


 ◆離婚届を提出したのは20日
女優藤原紀香(37)とお笑いタレント陣内智則(35)夫妻の離婚が成立したことが23日、分かった。
 紀香の所属事務所によると、紀香の親族が兵庫県内で離婚届を提出したのは20日。19日に離婚問題が発覚する前から、離婚届には署名・押印がされていたので、そのまま役所に提出したという。ただ、20日は春分の日で祝日。土日を挟んだこの日になって、書類に不備がないかを確認され、提出日の20日にさかのぼって受理されたとみられる。
 陣内は新聞各紙に「離婚へ」と報じられた19日午前、テレビの生放送で離婚への流れを否定。別居は認めながらも「関係修復に向けて距離を置いている」と話していた。「あまり報道が出ると、そうなる(離婚する)可能性がある」としたが、その発言の直後、紀香の所属事務所が、陣内の発言を完全否定。離婚の方向性はすでに決まっており「紀香の親族が近日中に届けを出す予定」と話していた。
 19日深夜になり陣内も「今後については2人で相談したい」などと書いた文書を発表したが、その数時間後には書類が提出されたことになる。
 紀香は今週中にも仕事で滞在中のアフリカから帰国する予定。離婚の経緯や元夫となった陣内についてどうコメントするかが注目される。日刊より



◆「もうママ、無理」と泣きながら
女優藤原紀香(37)とタレント陣内智則(35)が約2年の夫婦生活にピリオドを打ち、近く離婚届を提出する。19日、紀香の所属事務所が認めた。兵庫・西宮市内の紀香の実家では母親(61)が離婚が決定的になるまでの経緯を涙ながらに明かし「陣内さんは本当のことを言ってほしい」と訴えた。

 仕事のためアフリカに旅立つ紀香から、離婚のことは口止めされていた。紀香の母親も泥仕合は避けたかったが「あまりのひどさに…。女優藤原紀香ではなく、私の娘として守ってやりたい気持ちから」として、離婚への経緯を明かした。
 結婚から約1年が過ぎたばかりの昨年4月ごろ、関西のローカル番組で週のうち半分以上を大阪に滞在していた陣内から東京中心の仕事をこなしていた紀香に対し「大阪に来るな」と告げられたという。同5月には陣内から「ボクは結婚に向いていない。結婚生活を続けていくわけにはいかない。やめようか」との発言もあった。関係者によると、離婚の原因の1つとして陣内の複数の女性関係が挙げられている。母親はその点について具体的に明かさなかったが、昨年夏、紀香から初めて泣き言を聞いた。「ママ、今は何も言わないで。私を信じて。今は(私は)体調を崩してボロボロだけど、もう少し長い目で見てほしい。智ちゃんを愛しているから、もう1回がんばる」と訴えたという。

 離婚の決意を聞いたのは今年に入ってからだ。紀香は主演を務めたミュージカル「ドロウジー・シャペロン」の大阪公演を終えた翌3月1日、実家に帰ってきた。紀香は「もうママ、無理」と泣きながら訴えた。母親は「もうやめなさい。仕事がなくなってもかまわない」と告げ、親子で離婚を覚悟した。

 今年3月には本人らを含め藤原、陣内の両親が話し合った。家族会議で陣内は「ボクが全部責任取ります。ボクが全部正直に話します。紀香にはマイクを向けさせません」と、自ら離婚への原因を明かし、マスコミ対策を約束したという。
 当初は仕事のため東京と大阪に離れた生活が最大の原因だとみられた。しかし、母親は「(紀香は)スケジュールをマネジャーに調整してもらい、智則さんに合わせていた。お料理をちゃんと作り、すれ違いは決してないと思います」と別の理由で破局を迎えたことをあらためて示唆した。時折、涙を浮かべながら最後に陣内に「本当のことを言ってほしい」と話した。
 紀香の所属事務所も収入や美人女優とお笑いタレントという「格差」や仕事より生じた「遠距離による、すれ違い」が原因だとする見方に「それは結婚前から分かっていた」と否定的だ。すでに2人の印鑑が押された離婚届は紀香の親族が保管し、近く提出される方針だ。慰謝料はない。紀香は現在仕事のためアフリカに滞在中で、月末までに帰国する。日刊より



◆悪いのは全て僕です 
お笑いタレントの陣内智則が19日(木)夜、同日朝にマスコミ各社で報じられた妻で女優の藤原紀香との離婚報道について所属事務所を通じてFAXでコメントを発表。陣内は「本日の報道にありました件ですが、僕のだらしなさが原因でこのような報道になりました。紀香さんには悪いところは全くございません。悪いのは全て僕です」としながらも、「今後については二人で相談したいと考えています」と綴り、「今後については二人で相談したいと考えています」とした。

 同日朝に情報番組『ラジかるッ』(日本テレビ系)に出演した陣内は、報じられた自身の離婚の話題について「そうじゃないので…」とコメント。しかし、藤原との間に不協和音が生じていたのは認め、2人の仲を修復するために「お互いに距離をおいてみようか」と別居していたことを明かした。また、離婚届に判を押したとも報じられたが、これには「(夫婦間の)お守りみたいなもの」とし、さらに離婚が自身のDVによるものという報道は否定していた。

【以下は陣内智則のコメント全文】

「本日の報道にありました件ですが、僕のだらしなさが原因でこのような報道になりました。紀香さんには悪いところは全くございません。悪いのは全て僕です。一部新聞の報道にありました『原因がDVにあった』という記述ですが、それにつきましては全くそのようなことはございません。僕たちは現在、お互いのために前向きに話し合い、修復を目指していた段階でした。そのためにも二人で相談し離婚届の準備をしていたのも確かです。また生活もお互いの関係修復のために距離をおいている状態です。今回の報道の原因は僕の不徳の致すところであったということをお伝えしたかったのです。今後については二人で相談したいと考えています。」




藤原紀香 プロフィール
本名 藤原 紀香
別名 NORIKA
生年月日 1971年6月28日(37歳)
出生地 日本・和歌山県
(出身は兵庫県西宮市)

公称サイズ(2009年時点)
身長 / 体重 171 cm / ― kg
スリーサイズ 88 - 60 - 89 cm
股下 / 身長比 88 cm / 51.5 %
血液型A型

年譜
1971年兵庫県にて誕生、物心ついた頃に兵庫県西宮市[1]に一家で越す。
1989年高校生の時に毎年毎日放送が募集していた第70回 センバツ高校野球の「セブンティーンレポーター」の一人に選ばれる。
1990年親和女子高等学校→神戸親和女子大学文学部英米文学科に進学。
1992年神戸親和女子大学在学中に、第24回ミス日本に応募しグランプリを受賞。
1993年東レ水着キャンペーンガール。関西ローカル番組『ナイトinナイト』の枠内で放送された『クイズ!紳助くん』の初代アシスタントに。1997年12月までの長期出演。
1994年アサヒビールイメージガールとして活躍。
1995年阪神・淡路大震災で被災し、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京。
1997年映画『CAT'S EYE』で、泥棒三姉妹の長女の泪(るい)役を演じる。
1998年フジテレビ系テレビドラマ『ハッピーマニア』に出演。
2000年香港映画『SPY_N』に出演。CMにも数多く出演し「CMの女王」と言われた(CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで1999年と2000年に一位を記録)。特に、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMは衝撃的で、世間の話題を呼んだ。J-PHONE藤原紀香のCMの効果で、大きくシェアを伸ばした。
2002年 日韓親善大使。「スタアの恋」でヒカル子役を演じ、テレビ誌の主演女優賞を獲得。
2004年 3年契約で自身がプロデュースするブランド「NEW YORK DIARY」を立ち上げた。
2006年12月26日、お笑い芸人の陣内智則と2人そろって婚約会見を行った[2]。
2007年2月17日、生田神社で陣内智則と挙式(挙式の様子は非公開)[3]。
2007年5月30日、ホテルオークラ神戸で披露宴を行った。
2009年3月19日、夫の陣内智則とすでに別居中で離婚秒読みだとスポーツ3紙が一面で報じた。[4]
2009年3月23日、離婚届を提出し、正式に受理される[5]。

人物
神戸親和女子大学文学部英米文学科卒業。
資格は、英語検定2級、着物着付け3級。
趣味は、女磨き、写真、釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般、アロママッサージ。
設計事務所経営の父、専業主婦の母と3歳下の弟の4人家族である。
中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。
体型が峰不二子に似ていると自負(『SRS』の番組内でコスプレした事があり、自身も50歳60歳になっても「峰不二子」の容姿でいたいと2007年2月16日の『スポーツニッポン』のインタビューで語っていた)。
和歌山県出身の両親が結婚前によく紀ノ川周辺でデートをしており、思い出深い「紀ノ川」の「香り」にちなんで紀香と命名された。
母親は紀香よりも大柄で若き日には、第1回ミス和歌山コンテストに出場したが、ミスに選ばれなかった。また家族に反対され芸能界入りを諦めた。そのため紀香に期待し、娘のミスコン出場には積極的で、芸能活動にはとても協力的、娘がミスコンに応募した頃から度々TVにも登場している。2006年12月10日の結納時に、うつむいて顔を隠して車に乗っていた為、報道陣に影武者として写真を撮られているが、影武者のつもりはなかった。
自著である『藤原主義』によると、芸能界デビュー当初は実家から新幹線や飛行機で仕事場に通っていたが、阪神・淡路大震災で親戚や知人を亡くして「やり残したことを後悔しながら死ぬのは嫌だ。これからは自分の夢に向かって生きていこう」と決意し、親元から離れて上京することを決意したとのこと。その時、家族会議が行われ、母から「成功出来んかったら帰っておいで。」と言われるが最終的には上京を認めた。上京の際、父がトラックに荷物を積んで一緒に東京へ行ったという。
大黒摩季とは「のりぞう」「まきぞう」と呼び合う間柄。
ラジオDJパーソナリティである玉川美沙と同年齢で同じ関西人という繋がりで親交があり、彼女の番組『玉川美沙 たまなび』(文化放送)にもゲスト出演した[6]。
風水を学問として捉え、かなり奥深く学んでいるらしい。陣内智則との交際・結婚についても風水建築デザイナーの直居由美里にみてもらっている。
美容と健康の為にローズウォーターを飲んでいる。
CHAGE and ASKAASKAを兄のように慕っており、デビューして間もなく居酒屋でASKAに会い、仕事面で悩んでいた彼女はASKAに相談したところ「必ず売れる」と言われ、その後すぐに主演映画が決まりASKAが舞台挨拶にサプライズで登場した。
「クイズ!紳助くん」の初代アシスタントオーディション参加者の中でも彼女の日本人離れしたスタイルは群を抜いており、会場を覗いた島田紳助に「誰や!ハナテン中古車センターにポルシェ持ってきたやつは!」と言わしめた。

国際活動や人道支援への協力
2002年には、韓国の女優キム・ユンジンとともに日韓国民交流年の際、サッカー・ワールドカップ日韓共催大会の親善大使に起用され、両国の交流に貢献し、青瓦台にも訪問。
内乱後のアフガニスタンに赴き、戦災についてのテレビレポートを行ったほか、元々は趣味から身につけた写真技術を駆使して現地での取材を行い、2004年から2005年にはJICA(独立行政法人 国際協力機構)の『ピース・トーク・マラソン』に賛同して、写真展を日本各地で行い、人道支援の寄付募集などのチャリティー活動に努めている。
2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、当時のラモスホルタ外相の家にも招かれた。後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。アナン事務総長にも面会。
2007年日本赤十字社の広報特使になり、2008年1月バングラデシュに赴き、ハリケーン被害を受けた村を取材。
U2のボノとも親交があり、ボノが来日すると連絡を受け、現在のアフリカや国際貢献に関しての話をする(ボノ作成のサミットへのメッセージビデオにも出演している)。

スポーツに対する造詣
サッカーに関してはW杯の日韓親善大使以外にも、2002年10月から12月に横浜FCのユニフォームスポンサー(NORIKA NET)に就任したこともあった。現在もトレーニングウェアのスポンサーとなっている。
格闘技にも精通し(格闘技そのものより、「精神が男らしい人」が好きという見方もある)フジテレビで放送される『K-1』の中継の司会を務めている また、2003年からフジテレビが独占放映中の2年に1度の『世界柔道』の司会も務めている。
2004年、フジテレビのアテネオリンピックキャスターを務めた。
中央競馬所属の「ロイヤルキャンサー」という馬の名付け親でもある。キャンサーとは蟹を意味し、藤原の誕生星座「蟹座」にちなんでいる。同馬の馬主は、藤原を支援してくれているイザワオフィス代表の井澤健である。
高校時代にMBSの選抜甲子園のセブンティーンリポーターとして出演し、任務終了時に涙を流していた。結婚披露宴にもその映像が流された。現在もMBSに放送資料としてその映像とスチール写真が保存されている。
格闘技情報番組『SRS』の初代ビジュアルクイーンだったが、1999年に卒業。その際、藤原の卒業を祝って、アンディ・フグ桜庭和志フランシスコ・フィリォなどの著名格闘家が一堂に会し、それぞれエキシビジョンマッチや演武を披露した。その際アンディ・フグに「あなたがこの番組を卒業しても、あなたは格闘技の歴史の一部です。いつまでも格闘技を愛し続けてください。」という言葉を贈られ、たいへん心を打たれたという[7]。
プロ野球に関しては、結婚披露宴当日に夫と親交がある阪神タイガース今岡誠桧山進次郎がホームランを放って勝利し、桧山はヒーローインタビューで記者団に対し「今日打ててうれしいです」と二人を祝福した。そしてその足で披露宴二次会に駆けつけ、ホームランを打った際に貰うトラッキー人形を紀香夫妻にプレゼントした。

お笑いに対する造詣
高校生時代、落語研究会に入り、「親和亭カツオ」の名で落語をし、更にデビュー後、ブレイクする前に関西ローカルの『クイズ!紳助くん』の初代アシスタント(1993年10月から1997年12月)を務めたこともあり、その際に司会の島田紳助トーク中心に絡んでいたことが彼女のお笑いに対する理解や、女優としてコミカルな演技を求められた際の演技力向上に寄与したとされている。上京を決意した時に紳助から「東京は戦う場所や!決して甘く考えたらあかん!」と激励された。現在も紳助とは交友がある。
才色兼備の女性がおたく青年と出会い最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされてついには結ばれるという、ドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。
陣内以外でも、『あなたの人生お運びします!』ではDonDokoDon山口智充、『だめんず・うぉ〜か〜』では雨上がり決死隊宮迫博之と、近年お笑いタレントとの共演が多い。
フジテレビ警察で、(当時、ドラマ「大奥〜華の乱〜」に出演中)上様の正室・信子役で登場した際に、岡村巡査部長の「上様にイカれちゃったの?」発言にも、一緒に居た内山理名や、バラエティの出演の多い小池栄子でさえ答えに窮する中、「この三人は、みーんな上様にイカれちゃってるの」と返し、お笑いをよく分かっている女優というテロップまで流された。

雨女
自身が「雨女」であると公言している。
内戦後のアフガニスタンに赴いて取材訪問を行った際には、その従前3年間にわたって降雨のなかった枯れ地に、恵みの大雨をもたらした。
乾期のケニアに訪問した際には、例年の通り乾期中の飲料水確保に苦労していた現地の伝統民族マサイ族が大喜びするほどの降雨をもたらした。
アルゼンチンにタンゴ紀行に訪れた際、大雨量のため交通麻痺を引き起こした。
マヤ文明の遺跡めぐりをした際には、雨神を祭るピラミッド前に到着したとたんに驟雨となった。
初めての国際映画『SPY_N』(2000年香港・スタンリー・トン監督)にヒロインとして出演した際には、上海市内の高層ビルの44階付近外周において、ハイライトシーンとして本人出演によるワイヤーアクション撮影が非連続の延べ2日間の日程で行われたが、ロケ日程の2日いずれも雨天となった。
FIFAワールドカップ2002における日韓親善大使を務めた際には、職制上10回以上訪韓したが、晴れる日は皆無で、おしなべて降雨か砂嵐、大雪、などで交通麻痺にもなった時であったり、機内で雷に二度も打たれたほか、歴史上かつて氾濫したことのなかった韓国の河川が洪水で決壊したり、悪天候で飛行機が羽田に引き返すといった経験をした。
2006年12月26日深夜に婚約記者会見を行った際、会見中から季節はずれの大雨量の嵐となった。
2007年2月17日生田神社で挙式した際、当初の本人の予想通り雨天となった上、挙式後の記者会見が終わった瞬間に雨が降り止んだ。
2007年5月30日の、ホテルオークラ神戸(神戸市中央区)においての結婚披露宴当日も、前日までの晴天が嘘のように雨天になった。しかし、本番になると雨はやんだ。
自分のマイテーマソングはASKAの『はじまりはいつも雨』だと言う。

結婚披露宴
2007年5月30日、ホテルオークラ神戸にて結婚披露宴挙行。その模様は日本テレビ系にて放送。
司会は徳光和夫松本志のぶ(日テレアナウンサー)が務め、乾杯の音頭に芸能界では先輩だが、事務所では後輩に当たる宇津井健、その後は郷ひろみの歌のプレゼント、島田紳助からの祝辞、ムーディ勝山からの「19時に始まり21時半に終わる披露宴の歌」と題した歌のプレゼント等で盛り上げた。他にも紀香と陣内にゆかりの有名人が多数出席した。なお、この時列席したはるな愛が二次会の余興で披露した「エアあやや」が受けたことから、はるな愛がブレイクするきっかけとなった。
視聴率は関東地区では24.7%、名古屋地区では31.0%そして2人のお膝元である関西地区では40.0%という高視聴率となり、21世紀に入ってからの結婚披露宴中継で最も高い数字をマークした。

出演

テレビドラマ
毎度おジャマしまぁす(TBS系)緑山千鶴役
ひとつ屋根の下2(フジテレビ系)ヨシカワミチコ役
それが答えだ!(フジテレビ系)小野たみえ役
ラブジェネレーション(フジテレビ系)高木エリカ役
ニュースの女(フジテレビ系)星野夏美役
WITH LOVE(フジテレビ系)今井佳織役
ハッピーマニア(フジテレビ系)福永ヒロミ役
あきまへんで!(TBS系)青木あやめ役
ナオミ(フジテレビ系)※初主演:藤堂直海役
危険な関係(フジテレビ系)ヒロイン:速水有季子役
金曜日の恋人たちへ(TBS系)※主演:鎌倉まどか役
億万長者と結婚する方法(日本テレビ系)※主演:芹沢一夏役
金曜エンタテイメント 花瀬ちなつの殺人スクープ 〜京都・大阪・神戸を結ぶ謎〜(2000年6月30日、フジテレビ系)※主演:花瀬ちなつ 役
昔の男(TBS系)※主演:原あかり役
スタアの恋(フジテレビ系)※主演:桐島ヒカル子役
愛と青春の宝塚(フジテレビ系・正月ドラマ)※主演:リュータン(芸名:嶺野白雪/男役)役 ※関西弁役
あなたの人生お運びします!(TBS系)※主演:日高(上原)真喜役 ※関西弁役
金曜エンタテイメント熱き夢の日〜2002年ワールドカップを招致した男達〜(フジテレビ)※特別主演
よるドラ 結婚のカタチ(NHK、帯ドラマ)※主演:相馬有里役
世にも奇妙な物語 秋の特別編 昨日の君は別の君 明日の私は別の私(2002年10月3日放送、フジテレビ系)※主演にして初の母親山田明子
金曜エンタテイメント特別企画 天国へのカレンダー(フジテレビ系)※主演:吉岡由希子役
大奥〜華の乱〜(フジテレビ系) - 鷹司信子 役
ドラマ・コンプレックス 59番目のプロポーズ日本テレビ系)※主演:沢木由美(アルテイシア)役
祇園囃子テレビ朝日系)千野秀子役
金曜プレステージ ひみつな奥さん(フジテレビ系)※主演:蝶子役
だめんず・うぉ〜か〜(テレビ朝日系)※主演:大泉まりあ役
火曜ドラマゴールド 美貌のメス 脳神経外科医・津山慶子(日本テレビ系)※主演:津山慶子役
金曜プレステージ ひみつな奥さん2 京都・祇園の巻(フジテレビ系)※主演:蝶子役
おいしいごはん(テレビ朝日系)春日井たえ役
金曜プレステージ ひみつな奥さん3(フジテレビ系)※主演:蝶子役

映画
ビッグタウンふたりの朝(1993年) - 主演
BAD GUY BEACH
花より男子 - 山野美奈子 役
CAT'S EYE - 長女・来生泪 役
GTO - 喜多嶋薫 役
SPY_N

声優
サウスパーク - 第28話・殺人金魚の事件簿 (大阪弁の金魚)の吹き替え
シュレック - プリンセス・フィオナ姫の声(キャメロン・ディアス)の吹き替え
シュレック2プリンセス・フィオナ姫の声 カンヌ映画祭出席
シュレック3プリンセス・フィオナ姫の声
チャーリーズ・エンジェル フルスロットル - ナタリー・クック(キャメロン・ディアス)の吹き替え

舞台
OVERSEAS(2003年)
ドロウジー・シャペロン(2009年1月) - 主演

テレビその他
ベストヒット歌謡祭読売テレビ、毎年11月) - 司会(1998年〜)
FNS30周年'99秋の祭典(1999年9月29日、フジテレビ)
危険な関係チームとして出場
クイズ!紳助くん(朝日放送) - 初代アシスタント
SRS(フジテレビ系) - レギュラーMC、初代格闘ビジュアルクイーン
FUN(日本テレビ系) - MC(今田耕司松任谷正隆とともに担当)
BSマンガ天国(NHK) - アシスタント ※『BSマンガ夜話』関連番組
ベリーベリーサタデー!(関西テレビ製作、フジテレビ系) - 過去1回ゲスト出演
藤原紀香の1ボトル(関西テレビ
ゲスト - 大黒摩季藤本敏史FUJIWARA)(2006年8月20日
ゲスト - 虻川美穂子北陽)、脇田寧人(ペナルティ)(2007年1月2日)
K-1 GRANDPRIX(フジテレビ系) - レギュラーMC
2004アテネオリンピック中継(フジテレビ系列全国ネット) - メインキャスター
ジャンクSPORTS(フジテレビ系)
「女性キャスター特集」(2006年11月26日)
「We Love Sports」(2007年9月9日)
「ぷっ」すま(2006年10月10日、テレビ朝日系)「ザ・ギリギリマスター!」
SMAP×SMAP関西テレビ製作、フジテレビ系)
ビストロSMAP、好きな魚を使った料理」(1998年5月4日)
「ペットのPちゃん」(1998年5月25日、6月1日) 
ビストロSMAP、ホットなクリスマス!」(2003年12月22日)
ビストロSMAP、刺激的な魚料理&スイーツ」(2007年2月26日)
とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系)
藤原紀香 引き分け 清水宏保」(1998年3月5日)
藤原紀香 勝ち 加藤晴彦」(2005年8月18日)
藤原紀香 勝ち 東国原英夫」(2007年5月31日)
笑っていいとも!(フジテレビ系)
笑っていいとも!秋の祭典スペシャル」(2001年10月1日)
「テレフォンショッキング」(2003年7月28日)
愛のエプロン(2007年10月10日、テレビ朝日
2007秋祭渡哲也&藤原紀香が夢参戦!!ドリームマッチ史上最大の(秘)料理決戦-メインゲスト
徹子の部屋テレビ朝日系)
「初登場で語る見合い秘話」(2006年10月12日)
「新婚爆笑ハプニング告白」(2007年10月25日)
「本当の夫婦生活スタート…」(2008年12月1日)
明日のために…今(2008年3月3日、TBS系列) - ナビゲーター
NHK環境特別番組「SAVE THE FUTURE」(2008年6月6〜8日) - メインパーソナリティー
スタジオパークからこんにちは(2008年6月6日、NHK) - ゲスト
恋歌〜ラブソングス 紀香とマチャミが贈る愛と別れの名曲ベスト(8月26日、9月2日、9月9日、9月16日、日本テレビ) - 司会
なるトモ!(2008年10月30日、よみうりテレビ) - ゲスト
第59回NHK紅白歌合戦(2008年12月31日、NHK)- エンヤ特別企画でのゲスト出演
わたしが十二単だったころ(2009年3月1日、NHK総合他)

CM
ロイヤルパレス大和殿(1994年)
サンギ アパガード(1997年、諸星和己と共演)
富士フイルム Fine Pix(1998年 - 2003年)
カネボウ(1998年 - )
三菱自動車工業 ファイター(1998年)
ソフトバンクモバイル(旧・東京デジタルフォン・J-PHONE時代)(1998年 - 2003年)
大塚ベバレジ ジャワティー(1998年 - 2001年)
東武百貨店(1998年 - 2001年)
ブルボン チョコBit(1998年 - 2000年)
マンパワー・ジャパン(1999年 - )
三菱自動車工業 タウンボックスワイド(1999年)
日本航空(1999年 - 2003年)

アプラス(1999年 - 2002年)
宝酒造 タカラCanチューハイ(1999年 - 2002年)
ワコール(2000年 - 2001年)
アルク(2000年 - 2001年)
佐藤製薬 ストナ(2000年 - )
三菱電機 霧が峰(2001年 - 2003年)
ガリバーインターナショナル(2001年 - 2003年)
アサヒ飲料 十六茶(2002年 - 2003年)
ホワイトトラッシュチャームズ(2002年 - 2003年 )
財務省 国債(2002年 - )
ファーストリテイリング ユニクロジーンズ(2003年 - )
キリンビバレッジ HOGUSU Supli(2003年 - )
レオパレス21(2003年 - )
東芝 Face・DVDレコーダー(2003年 - )
ソースネクスト PCソフト(2004年 - )
コカ・コーラ ジョージア(2004年 - 2005年)
ロート製薬 美活工房
KINCHO キンチョーリキッド(2007年4月 - 、大友康平と共演)
エステティックミスパリ(2007年4月 - )
ミスパリエステティックスクール(2007年4月 - )
月桂冠 月(2007年5月 - 、共演:石原良純宮崎哲弥ルー大柴モト冬樹
ソヤファーム 大豆計画(2007年6月 - )
ネクスコ西日本〜ETCキャンペーン〜(2007年7月 - )
ツムラ バスクリンカラダプラス(2007年9月 - )
ホーユーCIELOシエロ ヘアカラーEX〜(2007年12月 - )
ファーストリテイリング ユニクロスティックパンツ&ハイライズジーンズ(2008 - )
日本赤十字広報特使
明治製菓アミノコラーゲン

ゲームキャラクター
プロジェクト・ミネルヴァ(プレイステーション2用ソフト) - 主人公:アリシアとしてフィーチャーされる。

ラジオ
ラジオ出演は多数あるが、The Nutty Radio Show 鬼玉に出演の際、友人でもあるパーソナリティー玉川美沙に電話で「今日くる?」といわれスタジオのある銀座に行き、出演してしまったということがあった。ちなみに番組の本マル決本3にこのエピソードが載っている。
2008年12月9日、大沢悠里のゆうゆうワイドTBSラジオ)にゲスト出演予定であったが、風邪のため出演をキャンセル。代わりにミュージカルで共演する川平慈英が出演した[8]。


都市桃花源 ジャッキー・チェンとデュエットした。

書籍

著書
写真集 「ORIGINE」「IMAJINE」〜アフリカ・ケニアにて撮影〜
カンダクゥ-笑顔で-(日本テレビ放送網、ISBN 4-8203-9842-3)
藤原主義(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-40413-0)
風を感じて(Wish books)-紀香のハワイ日記-(幻冬舎文庫、ISBN 4-344-00737-9)
紀香魂-ハッピー・スピリット-(幻冬舎、ISBN 4-344-01331-X)
紀香バディ!(講談社・ボーチェ編集部)
NORIKA WEDDING STYLE 〜自身初のコンピレーションアルバム〜

雑誌
『JJ』専属モデルとしてデビュー、神戸代表として活躍しながらも、1995年『CanCam』へ移籍し、表紙を初めとして活躍した。
『MISS』では1年間表紙をつとめる。
現在、『ジゼル』で「紀香ちゃん☆ねる」というエッセイを担当。彼女らしい等身大の文章と写真が人気。

関連項目
陣内智則
ビタミンS - 藤原紀香の物まねネタを持っている
ホワイトバンドプロジェクト
NEW YORK DIARY
メリケンパーク

脚注
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^ 同市の市街地ではなく北東端の塩瀬地区(現在の西宮名塩ニュータウン付近。当時は西宮名塩地区が開発されておらず、人家は少なかった)。
^ 2006年12月10日に結納を済ませたこと、2007年2月17日に生田神社にて挙式を行うことを発表した。世界で一番ユーザーが多いソーシャルネットワークMySpaceをはじめる。
^ 衣裳は十二単におすべらかし、陣内は束帯、お色直しは白無垢に高島田、陣内は黒紋付袴。3月、ヒロインを務める予定だった舞台「ささやき色のあの日たち」(2007年8月)を「海外で別の仕事がある」として降板。
2006年4月10日、加古川市役所にて陣内智則と入籍。5月、自著である『紀香魂-ハッピー・スピリット-』を発売。マリッジブルーにより「円形脱毛症」だったことが明かされる
^ 紀香&陣内わずか2年で“格差婚”別居状態 2009年3月19日 スポニチ閲覧
^ もう別々の人生…紀香、陣内夫妻が離婚届提出 2009年3月23日 スポニチ閲覧
^ 2006年10月13日放送。
^ 『ジャンクSPORTS』内で本人談。
^ 藤原紀香、TBSラジオを風邪で欠席(サンケイスポーツ 2008年12月10日)

外部リンク
NORIKANESQUE(ノリカネスク) - 公式サイト
SOMEDAY - 所属事務所
Norika.net - 会員制インターネットサービス
藤原紀香アフガニスタン写真展公式案内サイト
特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会
MySpace・Norika Fujiwara
スポニチタレント名鑑 藤原紀香
東レ水着キャンペーンガール
前年度
1992年
杜川真季 1993年
藤原紀香 次年度
1994年
堀恵子
先代:

  • 「クイズ!紳助くん」アシスタント

初代 次代:
萩原由紀