’08年、米国の音楽シーンでもっとも稼いだアーティストは、マドンナであることが判明した。

ビルボード』誌の発表した高所得者リスト“Moneymakers”によると、マドンナの昨年の収入は、なんと2億4,217万ドル(約220億円)にも上るという。その大半は、世界中で大成功を収めた“スティッキー&スウィート”ツアーの収益によるもの。

マドンナに次いで、2位にはボン・ジョヴィ(1億5,717万ドル)がランク・イン。以下、3位にブルース・スプリングスティーン(1億5,632万ドル)、4位にザ・ポリス(1億997万ドル)、5位セリーヌ・ディオン(9,917万ドル)と、いずれもツアーが大盛況だった面々がトップ5を占領。

アーティストにとって、今や楽曲のセールスよりもツアーによる収益の方が、総収入においてはるかに大きな割合を占めることを物語る結果となった。

このほか、トップ20にはジョナス・ブラザーズ(9位、6,263万ドル)やコールドプレイ(10位、6,217万ドル)、リル・ウェイン(12位、5,744万ドル)、マイリー・サイラス(15位、4,892万ドル)、カニエ・ウェスト(20位、4,255万ドル)らがランク・インしている。VIBEより

◆MoneymakersTOP20
1. Madonna: $242,176,466
2. Bon Jovi: $157,177,766
3. Bruce Springsteen: $156,327,964
4. The Police: $109,976,894
5. Celine Dion: $99,171,237
6. Kenny Chesney: $90,823,990
7. Neil Diamond: $82,174,000
8. Rascall Flatts: $63,522,160
9. Jonas Brothers: $62,638,814
10. Coldplay: $62,175,555
11. The Eagles: $61,132,213
12. Lil Wayne: $57,441,334
13. AC/DC: $56,505,296
14. Michael Buble: $50,257,364
15. Miley Cyrus: $48,920,806
16. Taylor Swift: $45,588,730
17. Journey: $44,787,328
18. Billy Joel: $44,581,010
19. Mary J. Blige: $43,472,850
20. Kanye West: $42,552,402


★マドンナ (Madonna 本名:Madonna Ciccone Ritchie(マドンナ・チッコーネ・ルイーズ)、1958年8月16日-)は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のシンガーソングライター、女優、映画監督、文筆家、実業家。元夫にはイギリスの映画監督であるガイ・リッチー、映画「上海サプライズ」で共演したショーン・ペンがいる。愛称は代表曲から来た「マテリアル・ガール(Material Girl)」、近年では「ポップス界の女王(Queen of Pop)」とも言われる。

80年代初頭のニューヨークのダンスクラブ・シーンに登場し、1984年の大ヒット曲『ライク・ア・ヴァージン』を機にポピュラー音楽のチャートで成功を収め、その大胆で挑発的なイメージで一躍世界的なメガスターになる。アルバムの代表作に『トゥルー・ブルー』、『ライク・ア・プレイヤー』、『レイ・オブ・ライト』などがあり、シングルの代表作に『ホリディ』、『クレージー・フォー・ユー』、『ヴォーグ』、『ミュージック』、『ハング・アップ』など多数がある。

MTVの登場により人気を得たミュージック・ビデオを巧みに活用しながらポップアートと音楽を融合し、大成功を収める。セックス・シンボルとして不動の位置を固めるが、その後多様なイメージの変遷を繰り返し現在に至る。彼女の活動は音楽にだけに止まらず、レコード会社の設立、映画や舞台への出演、そして近年では児童書の執筆や映画監督なども行っている。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録された[1]。

2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。


来歴
1958年8月16日、母の実家のあるアメリカ合衆国ミシガン州ベイシティ(Bay City)マーシー病院で、8人兄妹の3番目に出生。1987年ごろまで1961年生まれということにしていた(1989年に出たCD『ライク・ア・プレイヤー』のライナーには1958年生まれとはっきり書いてあるため、この頃までに元に戻したと思われる)。

父はイタリア系シルビオ・チッコーネ、母はフランス系マドンナ・ルイーズ・チッコーネ。(母娘とも同名)
このとき家族は、同州ポンティアック市(Pontiac)に住んでおり、彼女もそれ以後そこで成長。後に家族が増えたため、同州ローチェスターヒル市(Rochester Hills)へ転居した。
父は、GMのデザインエンジニア。実母はマドンナ(娘)が6歳の時乳癌で逝去した上,父はほどなく再婚してしまう。母の死や後の父・継母との確執は彼女の精神性に大きな影響を及ぼし、『Promise To Try』『Oh Father オー・ファーザー』などの楽曲で歌われている。弟や妹の面倒もよく見ていた。そんな中でも、多くの習い事を幼い頃からしており、最初はピアノを習っていたが、父親に「バレエを習いたい」と懇願し、変えてもらう。その後、モダンダンス、ジャズダンスなど、ダンスを多く習い始める。
1977年、35ドルを手にグレイハウンドの長距離バスで郷里を後にニューヨークへ出発した。ニューヨーク到着後、タクシーの運転手に「この街で一番大きな場所へ行って!」と言い、タイムズスクウェアで降りたのは有名な話。なおベジタリアンとなったのもNY移住後である。
1978年 ニューヨークで、『パトリック・エルナンデス・レビュー』にダンサーとして出演。他にも数々の職に就く。この頃出演していた成人映画が有名になってからビデオで発売された。
Dan Gilroy とバンド「Breakfast Club」を結成。


2000年12月22日にスコットランドのドーノック大聖堂にて映画監督のガイ・リッチーと結婚したが、2008年10月15日にマドンナの広報リズ・ローゼンバーグが夫婦の離婚を正式に発表した。