卓球の全日本選手権平野早矢香(ミキハウス)が3連覇

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卓球の全日本選手権最終日は18日、東京体育館で男女シングルスの決勝を行い、男子は水谷隼(明大)が松平健太青森山田高)を4―1で破り、男子では6人目の3連覇を達成した。単複同時3連覇は斎藤清に次いで2人目。

 女子は平野早矢香ミキハウス)が元中国代表の王輝(日立化成)に4―3で勝ち、女子では戦前を含めて4人目の3連覇を記録、通算5度目の優勝となった。準々決勝で石川佳純ミキハウスJSC)を破った福原愛(ANA)は準決勝で王に敗れた。

◆卓球全日本選手権最終日(18日、東京体育館) 女子シングルス決勝は平野早矢香ミキハウス)が元中国代表の王輝(日立化成)を4―3で下して3大会連続5度目の優勝を遂げた。平野は世界選手権(4月28日―5月5日・横浜アリーナ)代表入りを決め、ダブルスとの2冠も達成した。

 10度目の挑戦となった20歳の福原愛(ANA)はシングルス準々決勝で15歳の石川佳純ミキハウスJSC)に4―0で快勝して初の4強入りを果たしたが、準決勝で王輝にストレート負けした。

 男子シングルスはすでに世界選手権代表入りを決めている19歳の水谷隼(明大)が決勝で17歳の松平健太(青森・青森山田高)を4―1で下し、ダブルスと合わせて史上2人目となる3大会連続の2冠を成し遂げた。スポーツ報知より

★平野 早矢香(ひらの さやか、1985年3月24日 - )は、
日本の女子卓球選手。栃木県鹿沼市出身。全日本卓球選手権大会・女子シングルスで5度優勝(2003,2004,2006,2007,2008年度)している。

小・中学生時代から技術面以上に精神面の強さに定評がある。

北京オリンピック(2008年開催)女子団体・女子シングルス代表選手。[1]2008年7月時点での世界ランクは19位。

2009年より中国甲Aリーグ(中国スーパーリーグの下部リーグ)に参戦予定。[2]

プロフィール
平野 早矢香(ひらの さやか)
生年月日:1985年3月24日
血液型:O型
出身地:栃木県
身長:157.4cm、55kg
戦型:右シェークドライブ型


経歴
1997年 3月 栃木県鹿沼市立みなみ小学校 卒業
2000年 3月 仙台育英学園秀光中学校 卒業
2003年 3月 仙台育英学園高等学校 卒業
2003年 4月 株式会社ミキハウス 入社


主な戦績
2000年 全日本卓球選手権大会 ジュニアの部 優勝
2001年 世界選手権大会 出場
2002年 インターハイ 団体・ダブルス 優勝
2002年 インターハイ 個人 2位
2003年 アジア選手権大会 出場 団体 3位
アジアジュニア選手権大会 団体・ダブルス 3位
アジアジュニア選手権大会 個人 ベスト8
世界ジュニア選手権大会 団体 2位
世界ジュニア選手権大会 ダブルス 3位
世界ジュニア選手権大会 個人 ベスト8
2004年 全日本卓球選手権大会 シングルス 優勝
TOP 12 シングルス 優勝
世界選手権大会(団体) 銅メダル
2006年 世界選手権大会(団体)出場 銅メダル
2007年 全日本卓球選手権大会 シングルス 優勝
ジャパントップ12 シングルス 優勝




来歴
幼稚園の時、両親の影響で卓球を始める。
小学校時代は華卓会(- 小4)・城山クラブ(小5 -)で卓球を学ぶ。
中学・高校時代は、仙台育英学園秀光中学校・仙台育英学園高等学校に在学。[3]
高校卒業後、ミキハウス(大阪)に入社。

戦型・プレースタイル
シェーク攻撃型。台に近い位置に立ち、早い打点でボールをとらえるタイプ。
高校卒業後、早々にシニア代表入りし、日本の期待の若手として注目される。18歳の若さで全日本卓球選手権を初制覇[4]。この時はかなりの接戦や逆転を経てのものであったが、翌年も連覇。内容も圧勝が多く、その実力が確かなものであることを証明した。
2006年あたりは調子を落とし、同年世界卓球選手権ブレーメン大会(団体戦)でも試合数がサブ扱いと、不本意なシーズンとなったが、1年ほどでスランプから抜け出し、その後は国内で圧倒的な力を発揮、大会や選考会においてほとんど負けがなく優勝し続けており、不動の「女王」の称号を得ている。2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルスではトータルで3ゲームしか落とさず4度目の優勝を果たした。
ミキハウス入社後、監督の大嶋雅盛指導の下、卓球のスタイルを今までの「相手がミスするまで粘るタイプの卓球」から「自ら仕掛けていく攻撃的なタイプの卓球」へと進化させた。しかも世界の上位に勝利するため、まだなおも進化途上である。
ミキハウス入社直後から「体の力を無駄なくボールに伝える」ため、練習に甲野善紀から指導を受けた古武術を取り入れている。[5]

エピソード

尊敬する人物
2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)・女子シングルス決勝の地上波テレビ中継(NHK教育)の中で「もっとも尊敬するスポーツ選手はイチロー選手。」と紹介された。[6]
月刊誌『卓球レポート』2004年3月号のインタビュー記事内で「目標にする選手はいますか」との問いに「卓球選手ではありませんが、マラソン高橋尚子さん」と答えている。
月刊誌『卓球王国』2003年7月号のインタビュー内では「誰みたいな人になりたいと聞かれたら、人間として、父や母みたいな人になりたいと答えます」とも語っている。
2008年1月開催の全日本卓球選手権(2007年度)の頃、麻雀界の巨匠・桜井章一に精神的アドバイスもらっている。[7]




その他
第38回(2007年)全国中学校卓球大会の男子シングルスで優勝した平野友樹(ひらの ゆうき/野田学園高等学校)は実弟である。
2008年世界卓球の選手紹介では「求道者」「鬼がラケットを持ってやってくる」など、独特の呼称を用いられた。

主な戦績
2000年
12月 全日本卓球選手権大会 女子ジュニア(シングルス)優勝 【初優勝】
2001年
8月 インターハイ卓球競技 女子ダブルス準優勝
2002年
8月 インターハイ卓球競技 女子シングルス準優勝
8月 インターハイ卓球競技 女子ダブルス優勝[8]
2004年
1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【初優勝】
2月 ジャパントップ12 女子シングルス優勝 【初優勝】
2005年
1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【2年連続2度目】
11月 全日本社会人卓球選手権 女子ダブルス優勝[9]
2006年
10月 ITTFプロツアー・セルビアオープン 女子シングルス優勝 【ITTFプロツアー初優勝】
11月 ITTFプロツアー・ポーランドオープン 女子ダブルス優勝[10]
11月 全日本社会人卓球選手権 女子シングルス優勝 【初優勝】
2007年
1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【2年ぶり3度目】
2月 ジャパントップ12 女子シングルス優勝 【3年ぶり2度目】
10月 ITTFプロツアー・オーストリアオープン 女子ダブルス優勝[11]
2008年
1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【2年連続4度目】
2月 ジャパントップ12 女子シングルス優勝 【2年連続3度目】
2009年
1月 全日本卓球選手権大会 女子シングルス優勝 【3年連続5度目】 女子ダブルス優勝【初優勝】[12]

主な受賞
第5回(2003) 『卓球王国大賞』 審査委員賞
第6回(2004) 『卓球王国大賞』 プレーヤー・オブ・ザ・イヤー
第8回(2006) 『卓球王国大賞』 荻村伊智朗賞
第9回(2007) 『卓球王国大賞』 プレーヤー・オブ・ザ・イヤー




脚注
^ これは国際卓球連盟・2008年1月発表の世界ランキングで16位となり、国際卓球連盟及び日本卓球協会の規定をクリアしたことによるものである。
^ 2009年1月17日付スポーツニッポン紙による。
^ 現在は合わせて6年制の秀光中等教育学校
^ 平野はこのとき社会人1年目だったが、生年月日が3月24日であるため、1月開催の全日本卓球選手権のときはまだ年齢は18歳であった。なお、このために社会人1年目であったが、2003年12月開催の第1回世界ジュニア選手権・サンティアゴ大会にも出場することができた。
^ 古武術を練習に取り入れることを勧めた洲本高校監督の山田俊輔は、同校退職後の2006年4月よりミキハウスのコーチとなり、現在では直接的指導にあたっている。
^ イチローのことに関しては、2007年12月13日付サンケイスポーツ紙にも掲載され(見出しは『イチロー 本が心の教科書』)、その記事の中ではイチローに加えて野球選手の松井秀喜、マラソン選手の高橋尚子、元格闘家の須藤元気らトップアスリートの本も愛読していることが紹介されている。
^ このことについては『読売新聞』2008年3月9日付「編集手帳」にも掲載されている。また、桜井章一古武術研究家の甲野善紀との親交が深い。
^ 高校時代のダブルスパートナーは渡辺裕子。当時は仙台育英学園高等学校、現在はミキハウスに所属。
^ パートナーは末益亜紗美。当時は日本生命所属。
^ パートナーは樋浦令子。当時はミキハウス所属。現在はタイコウハウス所属。
^ パートナーは福原愛ANA所属。
^ パートナーは石川佳純ミキハウスJSC所属。




外部リンク
ミキハウス平野早矢香プロフィール
平野早矢香ファンサイト「a clear sky!!」