★宇多田ヒカルが好きなアーティストランキング1位

First Love

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宇多田ヒカルが好きなアーティストランキング1位
2004年以来、今回で4回目となる、音楽ファン2万人に聞いた『好きなアーティストランキング』。今年もアンケートを実施し、人気アーティストを大調査。はたして2万人が選んだ『好きなアーティストランキング』栄光の1位に輝いたのは・・・?

 今年リリースした「Flavor Of Life」(TBS系ドラマ『花より男子2』のイメージソング)が、週間ランキングで初登場以来3週連続1位を獲得するなどの活躍をみせた【宇多田ヒカル】が1位に。この『好きなアーティストランキング』では04年に1位を獲得して以来3年ぶり2度目の栄冠に輝いた。

 「歌唱力が抜群で引き込まれるし、少しハスキーな声が聴いていて気持ちいい」(東京都/26歳/男性)とシンガーとしての魅力はもちろん、「共感できる歌詞がすごく好き」(大阪府/23歳/女性)など、彼女の書く詞に共感するコメントも多く、10代から40代まで幅広い世代から支持された。

 2位は前回の30位から一気に人気を上昇させた【コブクロ】がランクイン。昨年発売のベストアルバム『ALL SINGLES BEST』が230万枚を超えるヒットを記録、シングル「蕾」も好調な彼らは、「聴いていて励まされる曲が多いから」(北海道/22歳/男性)など、作品から伝わるメッセージに勇気付けられる人から支持されているのが印象的。

 前回に比べて順位を大きくジャンプアップさせた例としては、2月にリリースした「WINDING ROAD」でコブクロとコラボしたことも話題の【絢香】が、前回30位圏外から6位を獲得した。デビューしてからあっという間に多くの世代から支持されるようになり、一躍トップアーティストの仲間入りしたことがわかる。

 そして3位は【Mr.Children】。常に様々なランキングで上位となっている彼ら。特に男性からの支持が高かったのが印象的で、男性のみが選んだ結果では、堂々の1位を獲得している。3月に発売されたアルバム『HOME』がミリオン突破するなど、92年にデビューして以来、常に安定した人気を誇っている。

 40代では【サザンオールスターズ】、10代では【YUI】が人気など、世代によっての違いが垣間見れた『世代別ランキング』や、豊富なインタビュー記事などは、本日20日(金)発売の、1位の宇多田ヒカルが表紙を飾っている、エンターテインメント・ウィークリー「oricon style」で。

(調査方法:2007年5月1日〜6月6日、『oricon style』読者及びOMR(オリコン・モニター・リサーチ)会員にアンケート調査を実施。有効回答数21,351人によるアンケートを集計したもの)オリコンより

◆歌手の宇多田ヒカルさん(24)が、音楽ファン2万人が選ぶ「好きなアーティストランキング」で1位に輝いた。これは週刊誌「oricon style」(オリコン)が10〜40代の2万1351人からハガキやインターネットでアンケートした結果を集計したもの。同誌では04年から調査を始め、第1回は宇多田さんが1位を獲得。今回、宇多田さんは前回の4位から巻き返し、3年ぶり2度目の栄冠に輝いた。05年、06年は歌手のaikoさん(31)が1位だった。

 宇多田さんは、今年2月にシングル「Flavor Of Life」を発売。この曲がTBS系ドラマ「花より男子2」の挿入歌となり、3週連続1位を獲得した。また、3月には離婚を発表。公私ともに話題を提供したことが、好感度アップにつながったようだ。宇多田さんは20日発売の同誌に掲載されたインタビューで「苦悩の日々を経て、今は好感度が高いって、この仕事をするにはありがたいなって思います(笑)」とウィットに富んだコメントを寄せている。

 宇多田さんを支持する理由は「ハスキーで切ない感じの声が好き」(愛媛県・27歳女性)、「1曲ごとに違う表情が出ていて、どれも似合っている」(高知県・23歳男性)など「歌声」を支持する声が多かった。また、歌詞の内容やメロディーなど作品に関することはもちろん、「気取っていない」(兵庫県・24歳女性)など人柄を挙げる意見もあった。

 2位は、昨年30位から急上昇した男性2人組ユニットのコブクロ。昨年9月に発売したベストアルバム「ALL SINGLES BEST」が230万枚を超えるヒットとなり、フジテレビ系ドラマ「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」主題歌「蕾(つぼみ)」も話題を呼んだ。昨年デビューした歌手の絢香さん(19)は総合で6位、同時に調査した「次世代を担うアーティスト」調査で1位を獲得した。

「07年好きなアーティスト総合ランキング」( )内は昨年の順位

1.宇多田ヒカル(4位)

2.コブクロ(30位)

3.Mr.Children(3位)

4.aiko(1位)

5.DREAMS COME TRUE(5位)

6.絢香(30位圏外)

7.スピッツ(2位)

8.ポルノグラフィティ(8位)

9.福山雅治(19位)

10.B’z(6位)MSNより

◆歌手宇多田ヒカル(24)が2月に発売した「Flavor Of Life」の音楽配信が700万ダウンロードを超え、世界一の配信数を達成したことが19日、分かった。CDシングル出荷と合わせると総計770万ユニットを突破。同曲はシングル発売前から200万ダウンロードを突破する人気ぶりだった。また、週刊誌「オリコンスタイル」7月30日号の実施した「好きなアーティスト」2万人アンケートで、宇多田が1位となり「苦悩の日々を経て、今は好感度が高いって、この仕事をするにはありがたい」とコメント。Asahi.comより

Distance Distance
宇多田ヒカル (2001/03/28)
EMIミュージック・ジャパン
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宇多田 ヒカル(うただ ひかる、1983年1月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:宇多田 光(読みは同じ)。アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。身長158 cm。血液型A型。コロンビア大学中退。出生地がアメリカだったため、歌手デビュー後まで日本とアメリカの二重国籍であったと本人が発言している。但し、その後については公式の発表がない。

演歌歌手であった藤圭子の娘としても知られる。愛称は「ヒッキー(Hikki)」で、ニューヨーク時代に友人からつけられた。 邦楽において、他の追随を許さない独自の音楽性によってカリスマ的な存在感を持ち、「日本の歌姫」と称される天才女性シンガーソングライターである。 また、身近な出来事の中にある深層心理を描いた歌詞世界は宇多田ヒカル独特の雰囲気を形作っている。 あらゆる世代からの幅広い人気を誇るシンガーである。

所属事務所は「U3MUSIC」で、父親で音楽プロデューサーの宇多田照實がU3MUSICの代表取締役で、母親で演歌歌手の藤圭子はU3MUSICの役員として所属し、宇多田一家の音楽活動およびそのサポート業務を行っている。レコード会社は主にEMIミュージック・ジャパン。

1993年〜2000年
• 米国居住時代の1993年、U3(父:宇多田照實と母:藤圭子とのファミリーユニット)名義で『THE STAR』を発表。また同じく米国で1997年にCubic U(宇多田家の3乗の意味)としてソロシングル『Close To You』とアルバム『Precious』を発表。なお、日本では1996年に「藤圭子 with cubic U」としてシングル『冷たい月〜泣かないで〜』を発表、1998年5月28日に「Cubic U」としてNHK-BS2の番組「真夜中の王国」にテレビ初出演をしている。
• 1998年12月、宇多田ヒカルとしてシングル『Automatic / time will tell』でデビュー。プロモーションはラジオ出演のみだったが、印象的なR&Bのサウンドやプロモーションビデオ、また宇多田が弱冠15歳で作詞作曲を手がけ、アメリカでデビューしている帰国子女である事や、かつての演歌歌手・藤圭子の娘だという事など、多くの話題性で一気にその存在を強く印象づけた。その結果、デビュー曲でいきなりのミリオンセールスを記録。

• 1999年3月、1stアルバム『First Love』を発売。日本で860万枚以上(オリコンの売り上げデータは765万枚)、国外を含めると990万枚以上を出荷し、国内アルバム売り上げ史上歴代1位となる超メガヒットとなる(現在もこの記録は破られていない)この年に帰国し、活動拠点を日本に移す。それまでラジオ以外メディア露出はほとんどなかったが、6月18日の「ミュージックステーション(26.5%)」を皮切りに、「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP(28.5%)」「SMAP×SMAP(33.5%)」などのテレビ番組にも出演。いずれも番組最高視聴率を叩き出した(「SMAP×SMAP」は当時の最高視聴率)。

• 2000年、調布市野水のインターナショナルスクール「アメリカンスクール・イン・ジャパン」を12年生で卒業し、米国の名門コロンビア大学に入学。その後、約1年で退学。同大のジェラルド・カーチス教授の発言により退学していたことが露呈するまでの間、日本国内では2002年から休学中であるという風に思われていた。「大学には私がおばあちゃんになったら戻るかもね」との発言をしている(アメリカの大学制度は、一度入学して在籍すると、復学が日本と違い容易。スティーブン・スピルバーグは、中途退学後に復学して卒業した。デーブ・スペクターによると、アメリカでは社会人の復学が多いとのことである)。

• 2000年7月、初めての全国ツアー「BOHEMIAN SUMMER〜宇多田ヒカル Circuit Live 2000〜」を開催。7月1日の国立代々木競技場 第一体育館を皮切りに、全国10ヶ所で開催。徳島公演の際には腰痛でダウンするという緊急事態もあったが、見事乗り越え、名古屋レインボーホールでの最終公演の後、千葉マリンスタジアムで3日間にわたって追加公演を行った。いずれの公演のチケットもプラチナチケットと呼ばれ、電話予約開始から瞬時に完売、ネットオークションなどで高値で広く出回った。千葉マリンスタジアム3日目の公演では、この日のためにJam and Lewis が初来日し、演奏に参加した。“最初で最後の全国ツアー”などとうたわれたが、2006年夏に2度目のツアーを開催した。

2001年〜2003年
• 2001年3月、2ndアルバム『Distance』を発売。発売日が浜崎あゆみのベストアルバム『A BEST』と重なり、「歌姫対決」と話題を集める。結果『Distance』の発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで300.3万枚(邦楽アルバム初動売上1位)、プラネットで262.9万枚、サウンドスキャンで244.3万枚を記録し、日本の3大チャートのすべてで宇多田が浜崎を上回った。最終的に双方とも売り上げ400万枚を超える大ヒットとなり、結果的には宇多田が勝利した。売り上げ約450万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

• 2001年6月8日に起きた、附属池田小事件の被害者の1人が宇多田ヒカルのファンであったこと知り、本来リリースする予定であったシングルカット曲『DISTANCE』をバラード調の曲に作り直し、この子に捧げる曲『FINAL DISTANCE』としてリリースする。

• 2001年7月、Tezuka Osamu @ Cinema企画のインターネットアニメ「ブラック・ジャック」で、ピノコ役の声優に起用される。声優の仕事は本人初の試みである。
• 2002年1月、アメリカ合衆国のレコード会社「Island Def Jam Music Group」と契約。アメリカでのアーティスト名を「Utada」とし、本格的に米国進出を果たす。

• 2002年4月、卵巣腫瘍(良性)と診断され摘出手術を受ける。テレビ出演などプロモーション活動の中止を余儀なくされ、出演予定だった「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングは、急遽父親宇多田照實が代理で出演。術後も薬の副作用で体調が思わしくなくしばらく休養。

• 2002年6月、3rdアルバム『DEEP RIVER』発売。テレビ出演はなかったが、雑誌・ラジオ番組でプロモーション活動を行った。発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで235万枚、プラネットで189万枚を記録した。売り上げ約360万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

• 2002年9月6日、写真家で映画監督の紀里谷和明電撃結婚する。
紀里谷はアルバム『Distance』のCDジャケットや『traveling』『光』『SAKURAドロップス』3rdアルバムのタイトル曲となった『Deep River』などのプロモーションビデオを手がけた。
• 2003年1月19日、自身20歳の誕生日に、ライブストリーミング・イベント「20代はイケイケ!」を開催。トークの他ミニライブも行われ、井上陽水の「少年時代」のカバーなど全3曲を披露。約2130万件という驚異のアクセス数を記録している。

2004年〜現在
• 2004年3月、コンピレーションアルバム『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』を発売。4週以上に渡ってオリコン1位を独走。250万枚以上のセールスを記録し、年間アルバムチャート1位に。
• 2004年2月、3日/4日/7日/8日/10日に、ライブ「ヒカルの5」開催。武道館での5日間限定ライブ。定員5万人に対して100万件以上の応募があり、プラチナチケットとなった。

• 2004年4月、シングル『誰かの願いが叶うころ』を発売。夫・紀里谷和明の初監督映画『CASSHERN』のテーマソングで、映画に関しては自ら音楽番組などでプロモーションに務めたおかげで興行的に成功したが、内容については評価が分かれた。
• 2004年10月、幾多の延期を経てアルバム『EXODUS』で全米メジャーデビュー。収録曲「Devil Inside」のリミックスシングルがダンスチャートで1位を記録するものの、アルバム自体はビルボードチャートで最高160位。2005年10月には同アルバムで全英デビュー。日本では全米発売から4週間早い2004年9月8日に先行発売され、全英語詞にも関わらずミリオンセラーを記録するヒットとなった。オリコンチャートで1位獲得。これ以降、日本でのシングルリリースがしばらく見られなくなる。

• 2005年9月にシングル「Be My Last」を発売し、その後も立て続けにシングルを発売。再び日本での活動が盛んになった。また、プロモーションで出演したTV番組内で「去年診断された、慢性すい炎が少し良くなっていた。」と明かした。卵巣腫瘍の摘出手術以降も体調はすぐれないものと思われる。2月リリースの「Keep Tryin'」は200万ダウンロード突破。その後NHKみんなのうたで、ぼくはくまが起用される。

• 「誰かの願いが叶うころ」「Be My Last」「Passion」「Keep Tryin'」など、最近のシングルは作詞・作曲に加え編曲も宇多田自身が担当しており、活動の範囲を確実に広げている。NHKトップランナー」では“シンガーソングライター”ではなく“音楽家”として紹介された。

• 2006年6月14日、4年ぶりとなる4枚目のオリジナルアルバム『ULTRA BLUE』リリース。この発売に先駆け、収録曲「This Is Love」を配信限定シングルとして販売した。このアルバムは初動50万枚を突破し、1stアルバムからの初動50万枚突破記録を更新し、歴代1位となった。オリコン2週連続1位獲得。

• 2006年、6年振り2度目となる全国ツアー「UTADA UNITED 2006」を開催。7月1日の宮城県総合体育館からスタートし、9月10日の代々木体育館まで全国11箇所全22公演行われた。国内でリリースされた曲の他にUtada名義でリリースした曲も披露し、まさに“集大成”となった。演出にはアリーナクラス最大規模のLEDを使い、夫・紀里谷和明もこれに演出監督として参加している。7月28日には、ZEPP大阪で限定シークレットライブ「One Night Magic」を開催。12時間の応募期間にも関わらず1万通を超える応募があり、プラチナチケットとなった。

テトリスが好き。本人曰く「5才の頃から毎日プレイしている」ためか腕はかなりのもので、ニンテンドーDS版では、カンスト[1]を達成している[2]。2006年8月、任天堂が主催したイベント「宇多田ヒカルテトリス対決!!」に参加。抽選で選ばれた一般者とテトリス対決を行い、26勝4敗という好成績を残した。テトリス開発者との対決も行い、1勝1敗。また、「テトリスはスポーツ」と発言している。

• 2月28日には新曲『Flavor Of Life』を発売、COLORS以来となる初動20万、累計60万越えを記録した。また、7月18日には音楽配信や着うたなどを含むデジタルシングルが総計700万ダウンロードを記録し、デジタルシングル世界歴代第一位の記録を樹立した。

• 2007年3月3日、仕事などお互いの生活のすれ違いを理由に夫・紀里谷和明と3月2日に離婚したことを、U3MUSIC公式サイトの日記「Message from Utada Hikaru/Utada」にて報告した。 WIKIより

Flavor Of Life Flavor Of Life
宇多田ヒカル (2007/02/28)
EMIミュージック・ジャパン
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