★あみんが24年ぶりに再結成!

★あみんが再結成!
24年ぶりに再始動した岡村孝子(45)と加藤晴子(44)の女性デュオ、あみんが27日、東京都渋谷区のNHKで同局の音楽番組「SONGS」(水曜後11:00)の収録を行った。あみんにとってテレビ出演は実に24年ぶり。デビュー曲「待つわ」や岡村の名曲「夢をあきらめないで」など4曲を美しいハーモニーで聴かせた。
 収録後、岡村は久しぶりにカメラの前で声を合わせたことに「すごい緊張。本番になると、スタジオの張りつめた空気感が伝わってきました」。その言葉に、あみんの活動休止以来、音楽活動から離れていた加藤も「恥ずかしいぐらいカチカチで、固まっていました」と大きくうなずいた。

 しかし、同局の三溝敬志チーフプロデューサーは「若々しくて当時のたたずまいのまま。感動しました」と絶賛し、「紅白歌合戦にもぜひ、出ていただきたい」とラブコール。所属事務所では、「大みそかのスケジュールは空けています」というから、四半世紀ぶりの紅白出演も期待できそうだ。

 あみん復活は、子育てが一息ついた加藤に、岡村が「大人のクラブ活動のつもりで楽しみながらやってみない?」と誘い実現。新アルバム「In the prime」(7月25日発売)をレコーディングした。「作品を作り上げていく楽しさを初めて味わいました」と加藤。8月24日から全国ツアーも行う。
 「SONGS」は7月11日放送。2人が出会った母校、名古屋市椙山女学園大を訪れる映像も紹介された。サンスポより

◆伝説の女性デュオあみんが、24年ぶりにテレビ出演して名曲「待つわ」を披露する。デビュー25周年の今年、20日の「待つわ’07」発売で活動を再開させた岡村孝子(45)と加藤晴子(44)が27日、NHKの歌番組「SONGS」(水曜午後11時)の収録に臨んだ。

 緊張で表情がこわばる2人は、手と手を重ね合わせて心を落ち着かせた。イントロが流れると、岡村が「歌と動きを一体で覚えていた」というように、自然に肩と足がリズムを刻んだ。マイクを片手で高く持つ独特の歌い方は、四半世紀前とまったく同じ。活動を休止した83年で芸能界を退き、専業主婦だった加藤は「恥ずかしくなるくらい真剣でした」と照れた。

 「大人のクラブ活動」として7月25日にアルバムを発売し8月からツアーに入る。収録を見たNHK関係者は「『待つわ』が女子大生の恋愛曲から、2人の再会の歌に変化していた。年末の紅白歌合戦にもぜひ」と感激し、早くも82年以来25年ぶりの出場を依頼。驚く2人に代わり、事務所スタッフが「予定は開けておきます」と返答した。日刊スポーツより

◆24年ぶりに活動を始めた女性デュオ、あみんの岡村孝子(45)=愛知県岡崎市出身=と加藤晴子(44)=同県豊川市出身=が12日、2枚目のアルバム「In the prime」(25日発売)PRのため本社を訪れ、再始動の喜びと抱負を語った。

 椙山女学園大(名古屋市)の同級生だった2人は25年前、「待つわ」が大ヒット、超人的なスケジュールをこなしたが、約1年半の活動後に休止。加藤は家庭に入り、岡村はソロ活動を続けてきた。
 あみん時代から抜群のハーモニーで聴く人を魅了してきた2人。ソロ活動中も岡村は自作曲のコーラスには自分の声を重ね、デュエット相手は“空席”のまま。「声質は似てますが、ハコ(加藤)のトーンは明るく、曲の可能性が何倍にも広がる」と岡村がほれ込む加藤の声。02年、岡村に誘われ、20周年曲「天晴な青空」のレコーディングに加藤が参加したのをきっかけに昨年、2人はあみんの再始動を決めた。

 加藤の背中を押したのは一人娘(14)が通う学校の校長先生の言葉だった。「『子育てには生き様を見せることが大事』と言われ、今ならできるかなと思いました」「同級生のお母さんからも『あみんだったんですね!!』と言われ、身が引き締まります」

 あみん時代がむしゃらだった2人。岡村は「だからこそハコにはモノづくりのプロセスを味わってほしい」と“とにかく楽しもう”と心がけた。そうやって作り上げたアルバムのタイトルには「まだまだこれから」の意味があり、等身大の思いも込めた。

 「いつも練習していた大学の裏山に戻った気分」と歌うことを楽しむ2人。「体内時計に合わせた歩みで続けたい。心にあみんでいる場所がずっとあるから。忙し過ぎたあのころとは違って今は“大人のクラブ活動”のように楽しい」と充実の心境を語った。

 9月1日には名古屋市東区愛知県芸術劇場に登場する。中日スポーツより

一言 解散後も二人の交際は続いていたようです。加藤は陰になり日向になりして岡村を応援していた様子。このあたりは男性と違うところでしょうか。岡村は加藤の声が加わる事によりかがやきが増すといっています。1+1=2+αになったのでしょう。このことはラベルの「ボレロ」にも良く現れています。一つの楽器から2つ3つと加わり、音が膨らんで立体的になっていく様子が良く表現されています。これからは大人になった「あみん」を聞かせて欲しいものです。僕らの青春の1ページを飾ったさわやかデュオでした。

●あみんは、岡村孝子(おかむら たかこ 1962年1月29日- 愛知県岡崎市出身)と、加藤晴子(かとう はるこ 1963年1月2日- 愛知県豊川市出身)の2人によるJ-POPのユニット。アルファベット表記は Aming 。代表作となった『待つわ』は現在でも耳にする機会の多いスタンダードナンバーである。
歌うときは、向かって左側に岡村、右側に加藤が立つ。岡村の歌う主旋律に加藤がハーモニーを加える曲が多い。
1980年代前半にシングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースののち、デビューから一年半で活動休止、2007年に活動再開
来歴
椙山女学園大学の同級生として出会った岡村と加藤が、意気投合しユニットを結成。
岡村は、愛知県立岡崎北高等学校を卒業して、一浪後に同大学に入学。加藤は、愛知県立小坂井高等学校を卒業後、同大学に入学。2人は1歳違いで、同級生である。

その出会いは、岡村孝子が大学の教室内で、履修届の書き方がわからなくて、前の席に座っていた加藤晴子の背中をペンでつついて尋ねた(あるいは、消しゴムを持っていなくて借りた)のが2人の出逢ったきっかけだといわれる。
ユニット名は、さだまさしの楽曲『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年、アルバム『夢供養』収録)に登場する喫茶店「安眠(あみん)」から取った。当初は「亜未夢」という漢字を当てていたものの「あくむ」などと誤読されることが多かったため、ひらがな表記に変えた(余談だが、さだまさしが喫茶店の名前にした「安眠(あみん)」の由来は、ウガンダの独裁者イディ・アミンである)。

1981年秋、第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に『琥珀色の想い出』で出場し、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞。だが本選(全国大会)へは進めずじまい。ちなみに、このとき同じブロックからアラジンの『完全無欠のロックンローラー』が本選に進みグランプリを獲得した。

1982年春、第23回ポプコンに『待つわ』で出場。5月16日の本選に進出、グランプリを獲得した。
1982年7月21日、『待つわ』で日本フォノグラムよりレコードデビュー。楽曲が多大なる共感を得て、デュエットによるハーモニーの新鮮さや清潔感と相まって同年のトップセールスを記録するほどの大ヒットとなる。あまりの有名さと分刻みのスケジュールで、大学の授業に出ると教授から「芸能人は来るな」と教室を追い出されるというエピソードもあった。1982年12月31日には第33回NHK紅白歌合戦に出場。

1983年4月25日、ファーストアルバム『P.S.あなたへ…』をリリース。他のアーティストからの提供曲も歌わせたいというレコード会社側の意向と、できるだけ多く自作曲を歌いたいという当人の意向が衝突し、当初は前年の10月にリリースする予定だったものを延期して、あみん側の意向を通した。なお、このファーストアルバムがオリジナル曲中心だったのに対し、次作のアルバム『メモリアル』は全曲がヤマハ音楽振興会所属・出身アーティストによる既発表曲のカバーであった。

1983年5月から全国6か所で初ツアー。だが、この頃から活動をやめようという意見が出始める。当時は「多忙さに伴う学業との両立問題」が理由とされていたものの、本当の理由は違うところにあることが後年になって明かされた。2005年6月12日にBS2(NHK)で放映された岡村のライブ番組内で、加藤がインタビューに答えたところによると、「自分の才能のなさから、音楽業界は自分の居場所ではないと思うようになった」ことが動機で、ただ当時の岡村には言えなかったため、学業との両立を口実に休止を切り出したとのことである。

結局、1983年12月18日、愛知県勤労会館のコンサートが最後の活動となった。このコンサートがファイナルであることはあえて公表されず、翌々日の1983年12月20日にリリースしたアルバム『メモリアル』を以て休止ということになっている。

休止期間中
• 岡村は大学を中退、ソロデビューして現在に至る。詳細は岡村孝子の項目を参照。なお、4枚のシングルを編曲した萩田光雄は岡村のソロ活動においてもずっと編曲を担当している。
• 加藤は大学を卒業後、OLとして就職、のち結婚。一般人の主婦として生活を送る。
• 岡村がソロデビューした後も、プライベートでは岡村・加藤の交流は続いていた。その後、次のような形で、加藤が岡村の音楽活動にかかわるようになる。
o 2002年、岡村のリクエストにより、デビュー20周年記念シングル『天晴な青空』にコーラスとして加藤が参加する。
o 2002年9月6日、渋谷公会堂でおこなわれた岡村のコンサート「DO MY BEST」ツアー最終日のアンコールに加藤が登場し、あみんを一夜限りで再結成して『待つわ』を歌う。ただし当時から半音下げたキーによる演奏だった。その模様は岡村のライブDVD『ENCORE V』に収録されている。
o 2006年5月にリリースされた岡村のアルバム『四つ葉のクローバー』に収録されているうちの2曲で、再び加藤がコーラスとして参加。うち、先行シングル『銀色の少女』は、さだまさしが作詞を担当した。
• 2006年12月16日、岡村のクリスマスコンサートのアンコールで加藤が飛び入り出演し、あみんとしての活動を2007年より再開することが発表された。

活動再開
2007年6月20日付けでBMG JAPAN(岡村が所属しているレーベルでもある)よりリリースのシングル「ひまわり / 待つわ'07」(うち『待つわ'07』は、レコードデビュー曲の新録音)、同年7月25日付けでリリースのアルバム「In the prime」(全10曲)、同年8月24日〜9月15日のコンサートツアー「25th Anniversary“Aming”Concert Tour 2007」が予定されている。アルバム「In the prime」には、先行シングルとしてリリースされた2曲のほか、レコードデビュー曲のカップリング曲『未知標』(岡村がソロでセルフカバーしたこともある)と、活動再開のきっかけとなった『銀色の少女』が、それぞれ新録音あみんバージョンで収録される。

2007年7月11日、およそ25年ぶりに「あみん」としてNHK総合音楽番組「SONGS」に出演。「夢をあきらめないで」「待つわ'07」「ひまわり」を熱唱した。番組内では、母校である椙山女学園を訪問し、お互いに宛てた手紙を披露。ある時期から全く別の人生を歩いてきた2人が、さまざまな経験をして再び結成するまでの道のりを感動的に描いた。

ディスコグラフィー

シングル
1. 待つわ(1982年7月21日リリース)
2. 琥珀色の想い出(1982年12月8日リリース)
3. 心こめて 愛をこめて(1983年4月6日リリース)
4. おやすみ(1983年11月1日リリース)
5. ひまわり / 待つわ'07(2007年6月20日リリース)

アルバム
1. P.S.あなたへ…(1983年4月25日リリース)
2. メモリアル(1983年12月20日リリース)
※ 1982〜1983年にリリースされた作品は、CD化にあたりポニーキャニオンから再発売された。また、レコード会社の企画によるセレクションアルバムがテイチクエンタテインメント(1999年)とキングレコード(2003・2006年)からリリースされている。WIKIより

In the prime(初回生産限定盤)(DVD付)

In the prime(初回生産限定盤)(DVD付)

ひまわり/待つわ’07(初回生産限定盤)(DVD付)

ひまわり/待つわ’07(初回生産限定盤)(DVD付)

P.S.あなたへ・・・

P.S.あなたへ・・・

ひまわり/待つわ’07

ひまわり/待つわ’07

In the prime

In the prime

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●あみん公式ウエブサイト
http://www.aming07.com/
BMG JAPANウエブサイト「待つわ」その他を試聴できます。
http://www.bmgjapan.com/_artist/info.php?id=2227

●シモンズも好きです。
http://www.on.rim.or.jp/~ipa/simons/