★これで見納めか?華原朋美


歌手の華原朋美(32)が所属事務所「プロダクション尾木」から専属契約を解除された問題で、同社に謝罪の電話を入れていたことが30日、分かった。同社の尾木徹社長の携帯電話に「ごめんなさい」と留守番電話のメッセージを残していた。しかし、同社は契約解除を撤回することはなく、華原のファンクラブも解散。会員には週明けに郵送で通知する。
 華原の留守電メッセージが残されていたのは30日午前2時半ごろ。「ごめんなさい。やめさせないでほしい」と懇願。残されていたメッセージにいつもの明るさはなく、消え入るような声だった。
 同社は29日午後に契約解除を発表。華原にはスタッフが同日深夜、自宅を訪れ、契約解除を伝える書面を直接手渡したもようで、それを見た華原が尾木氏に連絡してきたとみられる。同社は華原と先月中旬から連絡が取れない状態が続いていた。
 度重なる仕事のドタキャンに、睡眠薬精神安定剤など薬物への依存。酩酊(めいてい)状態で警察に保護される奇行も相次ぎ、「これ以上、芸能活動を支えることが不可能」とクビを切られた。契約解除の発表から一夜明けた30日、同社は「きちっと休養して世の中に通用するようになってほしい」としており、撤回する意思もない。
 同社はファンクラブも29日付で解散させた。2000人弱の会員には事情説明を兼ねたわび状を配送し、週明けにも届く見込み。今年に入ってからは2月にクラブ会報が発行されただけで、同社では「会費(年間4000円)は日割りにしてお返しします」としている。
 また、所属レコード会社「ユニバーサルミュージック」も華原との契約を解除する。華原がレギュラー出演するフジテレビの音楽番組「新堂本兄弟」(日曜後11・15)には、1日の特番を含めて今後の出演予定はない。MSNより

◆「制御不能」とさじを投げられ、28日付で所属事務所から契約解除を通告された歌手の華原朋美さん(32)。音楽プロデューサー、小室哲哉氏(48)との破局以来、3度も休業するなど精神不安定が続き、このところの奇行は度を超していた。

 事務所関係者によると、華原さんは今月19日に行われた番組収録のリハーサルを無断で欠席し、21日にはラジオ生番組のゲスト出演をドタキャン。前後して深夜に繁華街を連日、徘徊(はいかい)するようになり、19日に港区路上で酩酊(めいてい)状態のまま倒れていたところを警視庁麻布署に保護されるなど、今月だけで3度も警察の厄介になった。

 26日には事務所社長が電話したが会話にならない状態で、以降は連絡が取れなくなったという。このまま芸能界引退となる公算が大きい。

 華原さんは1995年デビュー。公私ともにコンビの小室氏とミリオンヒットを連発したが、破局した99年1月に自宅でガス中毒騒ぎを起こし最初の休業。それ以来、事務所の目を盗んで睡眠薬精神安定剤、鎮痛剤、風邪薬などを大量に摂取するようになり、奇行と休業を繰り返していた。ZAKZAKより


一言 何事も一生懸命にして欲しいものです。社会人としての自覚に欠けているのではないでしょうか。歌手、タレントは立派な職業だと思います。遅刻、欠勤をしないというのは初歩の初歩です。関係者に迷惑をかけてはいけません。ましてやお客様の期待を裏切らないで欲しい。

華原朋美写真集「crystallize」

華原朋美写真集「crystallize」

●華原 朋美のプロフィール
華原 朋美
基本情報
出生名 下河原 朋美
別名 朋ちゃん
出生地・日 1974年8月17日(32歳)

血液型 A型
学歴 松蔭学園高校 卒業
出身地 日本・東京都江東区

ジャンル J-POP

職業 歌手, タレント, ミュージカル女優

活動期間 1995年〜2007年

レーベル パイオニアLDC
/ORUMOK RECORDS
(1995-1998)
ワーナーミュージック・ジャパン
(1998-2003)
ユニバーサルシグマ
A&Mレコード
(2004-2007)
事務所 TKステート
/テツヤコムロライズ
(1995-1998)
プロダクション・尾木
(1999-2007)
影響 中山美穂
マライア・キャリー

公式サイト tomomi kahara

華原 朋美(かはら ともみ、本名:下河原 朋美(しもがわら ともみ)、1974年8月17日 - )は、日本の女性歌手、タレント、 ミュージカル女優。東京都江東区出身、千葉県浦安市育ち。血液型A型。獅子座。愛称は「朋ちゃん」。ラテン文字表記は「tomomi kahara」(CDに「Kahala」表記あり)。
代表曲に『I'm proud』『I BELIEVE』『Hate tell a lie』など。かつてのプロデューサー・小室哲哉に「愛を歌うことが出来る人」と称された。
• 東京都江東区亀戸生まれ、千葉県浦安市育ち。松蔭中学校・高校卒業。身長156.7cm(公称160cm)。体重44kg。スリーサイズB86・W58・H84。
• 3才頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に国体で第4位という成績を修めた。また、将棋の級(日本将棋連盟ジュニアクラス1級&一般クラス3級)も持っており、NHK衛星第2テレビの将棋特番で司会も務めている。
• 5才頃、突発性血管性紫斑病に罹り、3ヶ月間無菌室に入院していた。その後、乗馬で身体も鍛え筋力もつき、2005年に発売した初の写真集では引き締まったプロポーションを披露した。
• かつては、三浦彩香遠峯ありさなどの芸名でグラビアアイドルタレントとして活動。「さんまのナンでもダービー」などでアシスタントを務めた。
• 遠峯時代に小室哲哉に見出される。小室との出会いは、華原(遠峯)に興味を持っていた小室が、当時青山にあった小室の店・TJMに華原を呼んだことがきっかけ(引き合わせたのは、きくちP)。そして2人は親交を深め恋愛関係に発展した。また華原は女優志望だったが、交際中、偶然カラオケでtrfの曲を歌い、それを聴いた小室が“涙腺を刺激する歌声”と称し、歌手デビューが決定。ちなみに、初めて買ったCDが中山美穂の「50/50」(小室作曲)で好んで歌っていたというから、まさに運命的な出会いであったと言える。また、デビュー直前に2人の関係をすっぱ抜いた週刊誌の記者に対し、小室は“アーティストに手をつけたのではない、恋人に曲を書いてデビューさせただけだ”と語っている。
• 小室プロデュースの作品でミリオンセラーを連発し、一躍トップアーティストの仲間入りを果たす。1995年に発売した2枚目のシングル『I BELIEVE』で新人賞を総なめにし、新人としては異例の快挙を達成。1996年に発売した3枚目のシングル『I'm proud』は140万枚を売り上げ、名実共に代表曲に。ファーストアルバム『LOVE BRACE』も250万枚突破の記録的なヒットとなり、1997年に発売したCDは全てチャート1位を獲得。中でも『Hate tell a lie』は小室プロデュース作品としては最後のミリオンシングルとなっている。そのドラマティックな半生は、各曲の歌詞・歌声に表れている。
• 透明感溢れる澄んだハイトーンヴォイスに、ブランドスーツ・ワンピースを着こなすセレブなファッションなど、同性から強く支持され、安室奈美恵の“アムラー”に対しては“カハラー”と呼ばれた。平成のシンデレラとも呼ばれた。ハローキティ再流行のきっかけ(当時、サンリオ社長も華原朋美効果を認めた)や、牛丼の「つゆだく」、1998年に自身が出演した“ヒュ〜ヒュ〜”でお馴染みのCM・JT桃の天然水」が大ヒット商品になるなど、ブームリーダーにもなった。なお、桃の天然水は2006年に発売10周年を記念して復刻版として再発売され、そのCMキャラクターにも再起用され、8年前23歳だった自分との共演を果たしている。
• 1999年には小室との破局から体調を崩し、薬物依存から度重なる事故騒動などで世間を騒がせた。2000年には再度休養に入り、このまま活動停止・引退と心配されたが、休養先のカナダから一時帰国中に「進ぬ!電波少年」から全米デビュー企画のオファーを受け渡米。2001年に凱旋帰国後は歌手業だけではなく、バラエティ番組への出演や司会業など活動の幅を広げマルチに活動。デビュー10周年を迎えた2005年からはミュージカルの舞台にも進出し、ミュージカル女優としての活動も本格化させていた。
• 同じく2005年、パチンコ機「CR華原朋美みなしごハッチ」(フィールズ)でキャラクターものとしてパチンコ機化。メインはみなしごハッチだが、リーチアクションなどで華原が出てくることもある。華原が歌うトランス調にアレンジされた『みなしごハッチ』テーマソング収録のCD(未発売)や、ストラップ、トースターなどグッズも作られた。
所属事務所との専属契約解除
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。
2007年6月29日、所属事務所・プロダクション尾木が6月28日付で専属契約を解除した事を発表[1]。前年末の主演ミュージカル公演中に気管支炎などを患い一部休演後、年明けから4月いっぱいまで3度目の休養に入り、心身の回復に努めていた。5月には仕事を再開しTV復帰するも、番組のリハーサルやゲスト出演などを無断欠席し、突然の仕事キャンセルが相次いでいた[2]。19日には酩酊状態のまま倒れているところを保護され、警察のご厄介になったのは6月だけでも計3回[3]。小室との破局以降、不安になると睡眠薬精神安定剤に頼る体質が断ち切れてないという[4]。26日に今後について対応を電話で話し合ったが、回復状況が予想以上に思わしくなく、これ以上のマネージメントは不可能と判断[5]。尾木徹社長は「本当に残念でたまらない、断腸の思い」「早く治療すべきものは治療し、習慣になっているものはやめて、まず人間として再起再生してもらいたい」とエールを送った[6]。レギュラー番組「新堂本兄弟」も降板となり、既に収録済みの出演シーンはカットの方向で調整。7月から予定していたコンサートなどスケジュールも中止となり、ファンクラブ“Pretty Eye”も29日付で解散。所属レコード会社のユニバーサルミュージックも契約を解除[7]。29日深夜に本人から尾木社長へ謝罪の留守電が入っていたが、事務所は「華原が睡眠薬精神安定剤に頼る体質がなくならない限り、再契約はない」との方針で、「何年かかるか分からないが、病気を治すことが先決。本人の人生のためにも大切」としている[8]。7月1日現在、他の事務所への移籍などは決まっておらず、また、今後の芸能活動の存続、引退についても明らかにはされていない。
バイオグラフィ
1995年〜 アーティストデビュー
1995年
グラビアアイドルタレント遠峯ありさとして活動していた頃、小室哲哉に見出される。
6月 小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。
8月 小室が音楽を担当したイメージビデオ「PARADOX」をリリース。「フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー'95」に選出。

9月 パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル「ORUMOK RECORDS」より、『keep yourself alive』でアーティストデビュー。オリコン・シングルチャート最高8位を記録、売上37万枚を突破。
10月 2枚目のシングル『I BELIEVE』をリリース。初動売上6万枚ながらロングヒットとなり、オリコンチャート最高4位を記録。翌1996年にミリオンセラー達成。

12月 「第28回日本有線大賞」新人賞、最優秀新人賞を『I BELIEVE』で受賞。

「第28回全日本有線放送大賞」新人賞、最優秀新人賞を『I BELIEVE』で受賞。
「第37回日本レコード大賞」新人賞を『I BELIEVE』で受賞。

1996年〜 トップアーティストへ
1996年
3月 3枚目のシングル『I'm proud』をリリース。140万枚を売り上げ、前作に続き2作目のミリオンセラーを記録。年間シングルチャート女性ソロアーティスト最高位の8位、オリコン年間カラオケリクエスト1位を獲得。

「第10回日本ゴールドディスク大賞」ベスト5ニュー・アーティスト賞を受賞。
6月 ファーストアルバム『LOVE BRACE』をリリース。初のチャート1位を獲得し、ファーストアルバムの歴代最高初動売上を記録(後に宇多田ヒカル倉木麻衣が更新)。売上250万枚を突破。

アルバムのヒットを記念して新高輪プリンスホテルで、“華原朋美ヒット記念パーティー”開催。小室やdosらがお祝いに駆けつけ、業界・報道関係者1,000人が出席。
10月 5枚目のシングル『save your dream』をリリース。シングルでは初のチャート1位を獲得、売上90万枚を突破。
12月 「第29回日本有線大賞」有線音楽優秀賞を受賞。『save your dream』を歌唱。

「第29回全日本有線放送大賞読売テレビ・ゴールドアーティスト賞を受賞。『save your dream』を歌唱。

「第38回日本レコード大賞」優秀作品賞を『I'm proud』で受賞。

「第47回NHK紅白歌合戦」に初出場。小室のピアノ演奏による特別アレンジで『I'm proud』を歌唱。

1997年
1月 年越しスペシャル番組「TK GATEWAY COUNT DOWN LIVE」に生出演。
3月 「第11回日本ゴールドディスク大賞」ベスト5アーティスト賞を受賞。

4月 化粧品のイメージキャラクターに初選出。カネボウ化粧品「Bronzelove(ブロンズ・ラヴ)」のCMオンエア開始。
6枚目のシングル『Hate tell a lie』をリリース。初登場から3週連続チャート1位を獲得し、シングル3作目のミリオンセラーを記録。
6月 フジテレビ「TK MUSIC CLAMP」3代目のパーソナリティーに選出され、記者会見。第1回の対談ゲスト中山美穂も特別出席。

7月 7枚目のシングル『LOVE IS ALL MUSIC』をリリース。チャート1位を獲得、売上65万枚を突破。
10月 フジテレビ「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 砧のチャンプカーニバル」でマライア・キャリーと衛星中継で初対面。

小室との共作詞による8枚目のシングル『たのしく たのしく やさしくね』をリリース。チャート1位を獲得、売上41万枚を突破。
11月 「第30回日本有線大賞」有線音楽優秀賞を『Hate tell a lie』で受賞。

12月 「第30回全日本有線放送大賞読売テレビ・特別賞を『Hate tell a lie』で受賞。
「TK GROOVE MUSEUM」香港ライヴに出演。globe『DEPARTURES』のカバーなども歌唱。
2枚目のアルバム『storytelling』をリリース。小室と発売記念イベントを新宿HMVで開催。チャート1位、アルバム2作目のミリオンセラーを記録。売上136万枚を突破。
「第48回NHK紅白歌合戦」に2年連続2回目の出場。第2部トップバッターで『Hate tell a lie』を歌唱、小室がギターで飛び入り参加。

1998年
2月 JT桃の天然水」のCMオンエア開始。年間1600万ケースを売り上げる大ヒット商品に。
6月 レコード会社をワーナーミュージック・ジャパンに移籍し、11枚目のシングル『tumblin' dice』をリリース。

7月 フジテレビ月9ドラマ「ボーイハント」でドラマ初出演。

初のドラマ主題歌となった12枚目のシングル『here we are』をリリース。

11月 4枚目のアルバム『nine cubes』をリリース。

12月 小室と破局
「第49回NHK紅白歌合戦」に3年連続3回目の出場。『daily news』を歌唱。

1999年〜 事故騒動、休養
1999年
1月 小室の個人事務所「テツヤコムロライズ」を離脱し、小室と決別。
1月30日、自宅で料理中にガス事故で倒れ緊急入院。
2月 休養中に初のベストアルバム『KAHALA COMPILATION』をリリース。チャート1位を獲得、売上69万枚を突破。
5月 芸能事務所プロダクション・尾木に移籍。

自宅マンションのロビーで貧血で倒れ、再入院。
6月 6月17日、御殿場の乗馬クラブで不完全なまま復帰会見。
7月 14枚目のシングル『as A person』をリリース。本人作詞による小室へのメッセージ・ソング。初のファンクラブ“Pretty Eye”発足。全国4都市でPRイベントを開催。オリコンチャート最高6位、売上28万枚を記録。

テレビ朝日ミュージックステーション」を皮切りに8ヶ月ぶりにTV復帰。

11月 全曲本人作詞による4枚目のアルバム『One Fine Day』をリリース。初のファンイベントを開催。オリコンチャート初登場7位を記録。
翌2000年1月から再び無期限休養に入り、カナダへ留学。

2000年〜 渡米、凱旋帰国
2000年
2月 小室との恋愛なども綴った初のフォト&エッセイ集「未来を信じて」を休養中に発表。売上15万部。
7月 一時帰国中に日本テレビ進ぬ!電波少年』から全米デビュー企画のオファーを受け出演。
8月 「進ぬ!電波少年電波少年華原朋美の全米デビューへの道〜」オンエア開始。洗車場でのアルバイト、自炊生活、クラブでのステージ、ヴォイスレッスンなど経験を積む。
2001年
1月 Andy Marvel(アンディー・マーベル)プロデュースのオーディションに合格、全米デビューへの切符を掴む(アンディーのコンピレーションアルバムに華原歌唱の『NEVER SAY NEVER』が収録されたが、CDはまだ未発売)。
2月 約8ヶ月ぶりに日本へ帰国し、凱旋ライヴを開催。完全復活を果たす。
4月 18枚目のシングル『Never Say Never -Japanese version-』をリリース。オリコンチャート初登場10位、出荷15万枚のスマッシュヒット。
6月 ローソンのキャンペーンCMがオンエア開始、桂三枝とも共演。

7月 フォト&エッセイ集第2弾「苦あり楽あり 〜未来を信じて Part2〜」を発売。初の握手会を開催。
8月 デビュー7年目にして初となった単独ツアー“待っててくれてアリガトウ”を全国6箇所のライヴハウスで開催。
10月 レギュラーラジオ番組文化放送華原朋美のLIPS PARTY 21.jp」スタート。

11月 5枚目のアルバム『Love Again』をリリース。“DJ Tomo”名義で発売記念DJイベントを開催。

2002年
4月 NHK総合テレビ日曜昼枠の新番組「にっぽん愉快家族」スタート。コロッケと司会を担当し、全国で公開収録。

21枚目のシングル『あきらめましょう』をリリース。本人出演の缶コーヒーCMからCD化。
7月 ワーナー時代のベストアルバム『Natural Breeze 〜KAHALA BEST 1998-2002〜』をリリース。“告白”CMオンエア。
8月 ホールツアー“Natural Breeze”スタート。11月の追加公演まで全国13箇所で開催。
12月 「第53回NHK紅白歌合戦」に4年ぶり4度目の返り咲き出場。『あきらめましょう』を歌唱、ZONEがバックバンドで参加。

2003年
1月 テレビ朝日の国民的アニメ「クレヨンしんちゃん」の新主題歌に『PLEASURE』起用。
4月 NHK教育テレビドラマ愛の詩「パパ・トールド・ミー」で5年ぶりにドラマ復帰。「にっぽん愉快家族」と並行して収録。
映画シリーズ第11弾「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ 栄光のヤキニクロード」で声優に初挑戦。

10月 “朋ちゃん&コロッケ”としてデュエット・シングル『ありがとね!』をリリース。コロッケからのオファーがきっかけで誕生した企画物ユニット。
12月 初のディナーショーを開催。

「第54回NHK紅白歌合戦」に2年連続5度目の出場。華原朋美w/コロッケとして『ありがとね!』を歌唱。
2004年
2月 クアラルンプールで開催された「J-ASEAN POPS」に出演。『I BELIEVE』を歌唱。
フジテレビ「ミュージックフェア2000回記念」に出演。『I'm proud』を歌唱。

3月 TBS月曜ミステリー劇場「棟居刑事シリーズ」に女刑事役で出演。中村雅俊と共演。
4月 テレビ朝日金曜ナイトドラマ「霊感バスガイド事件簿」の第1話にメインゲスト出演。
8月 レコード会社をユニバーサルシグマに移籍し、“華原”のローマ字表記を以前までの“Kahala”から“Kahara”に変更。
30歳の誕生日を迎える。
9月 TBS時代劇「水戸黄門」の第33部最終回2時間スペシャルにSAYAKAMEGUMIと助っ人出演。凄腕の娘剣士役で殺陣に初挑戦し、得意の馬術も披露。
23枚目のシングル『あなたがいれば』をリリース。K-POPバラード『君さえいれば』を日本語詞でカバー。チャート再浮上を繰り返し、オリコンでは16週連続ロングチャートインを記録。
11月 フジテレビ「僕らの音楽」に出演。『I BELIEVE』『I'm proud』を特別アレンジで歌唱。『あなたがいれば』の原曲者カン・ヒョンミンとデュエット。

12月 「第46回輝く! 日本レコード大賞」金賞を『あなたがいれば』で受賞。8年ぶりにレコード大賞のステージにカムバック。
2005年〜 10周年、ミュージカルデビュー
2005年
4月 コーセー「清肌晶」の新イメージキャラクターに選出。舞妓に扮してメイクを落とす“どすっぴんどす”CMオンエア。
6月 10周年記念6枚目のアルバム『NAKED』をリリース。ジャケットで背中を大胆に見せたセミヌードを披露(過去の失恋を歌った『涙の続き』をきっかけに失恋経験者に向けて、“こんなに元気になった姿を見てほしい”との意味合いからの披露)。
アルバムを引っ提げて、10周年記念コンサート“10th Anniversary Celebration Concert 2005”スタート。翌2006年2月まで全国15箇所で開催。

8月 「赤毛のアン」主人公アン役でミュージカルデビュー。

9月 フジテレビ「新堂本兄弟堂本ブラザーズバンドに新加入。深田恭子とレギュラー番組初共演。
12月 初の写真集「Crystallize」を発売。『NAKED』のジャケットに続き大胆なセミヌードを披露。売上5万部以上。

2006年
2月 「桃の天然水」発売10周年記念復刻版のCMキャラクターに8年ぶりに再起用され、制作発表。対比CMオンエア開始。
25枚目のシングル『華/Keep On Running』をリリース。初の両A面シングル。
7月 中島みゆきの書き下ろしによる26枚目のシングル『あのさよならにさよならを』をリリース。以前から憧れていた中島作品を歌いたいとの華原の熱望に、中島も快諾して楽曲提供が実現。
8月 ミュージカル「赤毛のアン」に2年連続で主演(翌2007年は療養のため降板)。

12月 松任谷由実の名曲だけで構成された異例の“ユーミン”ソング・ミュージカル「ガールフレンズ」に主演。年に3本の舞台に出演。公演中に急性気管支炎と急性声帯炎を併発し一時休演する事態となるも、復帰。

2007年〜 3度目の休養、事務所との契約解除
この節には、現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。
2007年
1月 年明けから5ヶ月に渡り3度目の休養、自宅療養する。
5月 伊勢神宮神事の御木曳にゲスト出演し、仕事再開。6月からTV復帰。

6月 6月29日、所属事務所プロダクション・尾木が6月28日付で専属契約の解除を発表。睡眠薬精神安定剤に頼る体質を断ち切れず、心身の回復が予想以上に思わしくないため、これ以上のマネージメントは不可能との判断。ファンクラブ“Pretty Eye”も29日付で解散。
レギュラー番組「新堂本兄弟」も降板。

所属レコード会社ユニバーサルミュージックも契約解除。

受賞歴
音楽賞
受賞年 賞 受賞作品
1995年
第28回日本有線大賞 新人賞、最優秀新人賞
I BELIEVE

第28回全日本有線放送大賞 最優秀新人賞
I BELIEVE

第37回日本レコード大賞 新人賞
I BELIEVE

1996年
第10回日本ゴールドディスク大賞 ベスト5ニュー・アーティスト賞 受賞のみ
第29回日本有線大賞 有線音楽優秀賞
受賞のみ
第29回全日本有線放送大賞 読売テレビ・ゴールドアーティスト賞 受賞のみ
第38回日本レコード大賞 優秀作品賞
I'm proud

1997年
第11回日本ゴールドディスク大賞 ベスト5アーティスト賞
受賞のみ
第30回日本有線大賞 有線音楽優秀賞
Hate tell a lie

第30回全日本有線放送大賞 読売テレビ・特別賞
Hate tell a lie

1998年
第12回日本ゴールドディスク大賞 ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー storytelling

2004年
第46回日本レコード大賞 金賞
あなたがいれば

その他の賞
1995年
フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー'95
PARADOX
2005年
第3回全納連・納豆クイーン 受賞のみ
WIKIより

華原朋美<VISUAL QUEEN OF THE YEAR’95> [VHS]

華原朋美 [VHS]

涙の続き

涙の続き

華 / Keep On Running

華 / Keep On Running

あのさよならにさよならを

あのさよならにさよならを